ダグラス日記ー文化人類学の古典『汚穢と禁忌』を読む
FILTR✖️新潮選書『人類学の古典に親しむーメアリ・ダグラスというエアポケット』の講座日記。人類学の理論書に必ず掲載される1冊。メアリ・ダグラス『汚穢と禁忌』を読んでいます。
2023年1月19日 残すはみんなで帯作り。『汚穢と禁忌』、私ならこう売る
今週で閉幕となった講座。残すは来月頭の交流会。
何をやるかというと、『汚穢と禁忌』の帯をそれぞれが作って発表し合う。さてさて、みんなどんな帯を作ってくれるのか。というか、果たして人は何人来るのか。それも含めて楽しみです。
講座終了にあたっての講師の真面目な感想はこちらから。
3月4日追記:交流会はとても盛り上がりました。作成された帯18選はこちらから。
2023年2月13日 学びは遊びだーはじめての同日2つポスト
また書いてしまった。こちらはスピンオフ。
2023年2月13日 とうとう最終週
11月から続けてきた「人類学の古典に親しむ」。本当に今週で最終回となる。人類学の古典を読むことが初めての人たちとの読書会。なんだか感慨深い。
この10回が終わった後、わからないなりに読もうとしてきた人であればあるほど、暮らしのふとしたタイミングでダグラスが現れ、今と『汚穢と禁忌』が繋がる瞬間が増えてくるはず。
古典が一番面白いのはそんな時じゃないだろうか。
2023年2月9日 『汚穢と禁忌』ー難関は1章、9章、そしてゾワッとする10章
講座は来週で終わり。
2023年2月8日 「ダグラス自習室」をやってみた
Buzzfeedのコロナ関連の記事が2つ出る予定があったせいか、先週の終わりあたりから少し落ち着かない気持ちで過ごしていた私。ですが記事は無事にアップされ、穏やかな朝が戻って来ました。
さて、昨夜は突然思い立ち「ダグラス自習室」を開室。
思いたったのが20:50。Slackに連絡を流したのが、20:55。開講したのが21:02。
とりあえず作ってみたルールは下記。
- 画面OFF
- 参加をしたらSlackに書き込む (ex. 参加中!、入ったぜ!、エンターなど)
- ダグラスを誰かと読んでいる気分を味わいながら本を読む
- 出るときは、今日の成果を比喩でSlack書き込む(シリウスが見えました、など)(*ページをどこからどこまで読んだ、とか書くとプレッシャーになるので書かなくて良いです。)
- Zoomのチャットは行き詰まりの吐露のためなどに自由に使って良い。ただそれに対する返信などは任意。
こんなぎりぎりで誰か来るのかしら?、と思っていたらなんと8名ものご参加が。Zoomに入ったからって何が起こるわけでもないんだけど、「同じことをやっている人たちが今ここにいる」という感覚に読書を進める効果があるのかも、と思った。
皆さんが比喩的に上げてくれた成果報告を一部紹介。
ほんのちょっと小高い丘に登った(気がする)!
本日の成果は『魔性の女』でしょうか。
キラッと一筋のかすかな光が見えました。
そこにある”線(引き)”がやはり沼…。
2023年2月2日 「古典」と言われるものには生き残ってきただけの理由がある/『コロナとバカ』ビートたけし
本日はこちらにスピンオフしてます。
2023年1月27日 謝られて気持ちが晴れる場合と、むしろ気持ちが曇る場合と
『汚穢と禁忌』はとうとう第8章に突入。8章のタイトルは「体系内の内部と境界」。
一体なんのこっちゃという話なのだが、8章は道徳に関する章だ。コミュニティの中で「これはしてはいけない」という合意があったとしても、それが守られないことはままあり、あるいは「してはいけない」というルール自体が形骸化していくことすらある。そんな時「汚れ」の規範が、その道徳のブレを支える。そういうことを書いてある章。
この章には、仇討ちとか復讐とかそういう物々しい話も出てくるんだけど、ダグラスはこれらを単に野蛮な悪しき風習といった形ではなく、その意味をしっかり考察している。謝罪の儀式は、共同体全体の利益になる必要あるゆえに、儀式の形式も謝罪を受けた側の気持ちがそれで本当に晴れるような形式として作られるべきだ、といった形で。
ディスカッションでは、犯罪被害者の気持ち、裁判のあり方、学校のいじめにおける謝罪など、本質的な問題がいくつも語られた。8章は短いけれど、その内容は実に深い。
2023年1月22日 必ずやってくる朝に向けて朝を作ろう
4章・5章を読んでから特に意識するようになりました。本日はスピンオフ。
2023年1月19日 切断の儀式
本日は、第7章「体系の外縁における境界」。身体の中に社会が象徴として現れるというあり方をベースに、汚れを考えていく。理論書に抜粋される章だけのことはあり、現代社会への応用も十分にできる。
それもあって受講生さんの話も弾んだ。例えばー
去年末の紅白で郷ひろみさん(67才)がむっちゃダッシュするシーンがあって、その演出をちょっと思い出しました・・
郷ひろみさん、60代で左ききに
とか(真面目な講座です)。
この中に、汚れたものを清浄なものに変換する「切断の儀式」なるものが登場する。教科書の例は、汚れた何かでも、清浄な手によって調理されれば食物は浄化され、安全に食べられるというもの。
他方、受講生の皆さんが出した例はー
食べすぎた次の日、野菜の味噌汁を飲むとチャラにしている自分を思い出しました。
夕飯に焼きそば、夜にポップコーンを食べたため、緑茶で浄化した。
高級レストランで、テーブルの上に料理を乗せられるスタッフはいつも特定の人
これを食べればチャラっていうのは確かにあるし、レストランの例の場合、若手がテーブルの真後ろまで持ってきて、それを別の台に一度置き、それを特定のスタッフがテーブルに乗せるのだそう。実に味わい深い。
人間の行動を科学的根拠があるかだけで評価すると陳腐で、つまらないものになる。象徴人類学は、人間という存在を理解し、幅を広げるための豊かな例を与えてくれる。
ところで、事務局・田中さんのお子さんが「メアリ・ダグラス」と書名『汚穢と禁忌』を覚え、ダグラスのことを学校の先生に話したところキョトンとした顔をされたそう。
ダグラスを知っているだけでなく、『汚穢と禁忌』なんて口走った日にはあらぬ心配をされるんじゃないか…..
2023年1月18日 単なる”おまじない”と切り捨てることの陳腐さ
本日のダグラス日記は外にスピンオフしています。
2023年1月14日 妖術と邪術の違いは?ー社会をまとめる力、力を配分する装置
邪術信仰は世俗的権力の濫用を抑制する作用をもしているのだ…妖術信仰も邪術信仰と同じく任務を正しく果たさないことを予想し、それに制裁を加えようとする傾向を持つことは、我々がすでに見て通りだからである。けれども、妖術信仰は間隙的立場にある人々がその任務に反することを予想するのに対し、邪術信仰は重要な役割をもった人々の不首尾を予想しているのである。256-257
「汚穢と禁忌」 p256-257
6章は、呪術、妖術、邪術、黒魔術、白魔術、魔女など、「文化人類学の講座です」と言わなければ「一体何をしているんですか?」と言われかねない単語が並ぶ。
でもそこで語られているのは、どんな力が社会をまとめ上げているのか。未開人と現代社会における人間の経験を統合するというダグラスの試みもだんだん佳境に入ってきた感がある。
6章は、「混沌の力」から始まるんだけど、それを受けて受講生の方からこんなレビューシートが。
秩序が「お蝶夫人」、無秩序が「岡ひろみ」
なるほど。「エースを狙え」(でいいのか?)はやんわりとしか記憶にないが、確かにそんな感じがある。
あとアナ雪のエルサが妖術事例っぽいという話も出ており、これも確かに、という話。
映画やアニメなどの物語は、その枠組みに6章で語られていることを意識的に使っているのだろう。
追記:
講座専用のSlackが、FFとドラクエの話で盛り上がっているのだが、それは「汚穢と禁忌」6章に黒魔術と白魔術が出てくるから。意外とファンが多かった模様。
私は昔、「あなたはどうしてそんなパルプンテみたいなんだ!」と真顔で友人に言われたことがあるのだが、6章を読んでその理由がよくわかりました…
2023年1月10日 4章「呪術と奇跡」5章「未開人の世界」を読んだら生活が整ってしまった話
全く意図していなかったのだが、4章と5章を読んだら生活が以前より整った。
人が儀式なしには生きていけないの動物であること、人が意味の中で生きる動物であること、形式が意味と経験を生み出すことを書いているからだと思う。
ダグラスはいう。
「月曜日をきちんと経験できないと火曜日も経験できない」
深い….。お持ちの方は特に4章を開きましょう。
2023年1月6日 人類学における本書の位置は、自動車設計におけるフレームレス・シャシーの発明のようなもの
人類学における本書の位置は、自動車設計におけるフレームレス・シャシーの発明のようなものだろう
『汚穢と禁忌』p8
『汚穢と禁忌』には上記のように比喩がたくさん登場する。が、例えば「フレームレス・シャシーってなんなん?」となると、そこで躓いてしまう。
私もさっぱりわからず、調べたのはこのサイト。
実はこの比喩、5章までを理解してから読むとその力強さが見えてくるのだが、問題はここまで諦めずにたどり着けるか、かもしれない。今日の復習セッションではこちらを少し扱います。
2023年1月5日 明日は復習セッション(1章から5章)
明日6日は、急遽企画したメアリ・ダグラス『汚穢と禁忌』の復習セッション。後半からご参加の方もいるので、1章から5章を振り返る。
以前こちらで、誰かが作った一言まとめは大した学びにならないが、自分で作った一言まとめは深い学びになるはず、といったことを書いたら早速試しておられるお二人おり、明日はそのお二人に一言まとめを紹介してもらう予定。
どんなのが出てくるかしら。
2023年1月1日 あけましておめでとうございます
ダグラスを読んでいると、元旦の意味をより深く感じられることに気づきました。本日のダグラス日記は、下記にスピンオフしています。
2022年12月27日 効果がないとわかっていながら代替医療を利用する人たち
5章「未開人の世界」は、ヨーロッパ社会と未開社会の違いを進化論の枠から抜け出してダグラスが解説をするスリリングな章。ここでいう進化論とは、「白人が最も進化した人類で、それ以外の人たちは進化の途上にある遅れた人々」という考えのことを指す。
今回真っ先にレビューシートを書いてくださった方から、こんなご意見が届いた。
読んでいて難しい面もありましたが、最後のあたりはなんとなく全体の流れから理解できんじゃないこれ、と思っていました.が、講義をうけ細部の説明を聞いて(特に制度のところ)、その時初めて鳥肌が立ちました.
読んでゾワッとする感覚が共有できて嬉しい。
またご職業に照らしながらつつ、こんなコメントも。
代替医療を選択する患者(特にその家族)は、科学的な知識に乏しい、ヘルスリテラシーが低い、と当時私も思っていた時期がありましたが、何人かに「そんな効果なんてないことは分かっていますよ」「死が近いことは分かっていますよ」と言われたことがあり、”代替医療を行う人たち”を医療セクターの目で見ることだけでは、彼らを理解したとは言えないと感じていました.でもどう捉えればよいのか、どうぞどうぞ好きにしてくださいと言うだけになってしまうのか.
「そんな効果なんてないことは分かっていますよ」、「死が近いことは分かっていますよ」
そう言いながら、患者さんあるいはその家族が代替医療(*)を用いていることを知った時、医師はそれに対しどう応えるべきなのか。
もちろんこの本に答えが書いてあるわけではない。書いてあったら誰も悩んでない。
ただ科学以外に考える切り口を持つという意味で、この本は力があるのだということをレビューを読んで感じた。
*何が「代替医療」と見做されるかは、時代や地域によって大きく異なるので注意されたい。
2022年12月23日 本の崩壊
本日で『汚穢と禁忌』の前半(1章~5章)が終わり。とりあえず私の『汚穢と禁忌』は崩壊しつつある。そのうちカバーだけでなく、ページが外れるのではないか。
書き込みと線だらけなので、これをどこかに落としたら発狂モノだ。
2022年12月22日 前半最終回ー『汚穢と禁忌』第5章「未開人の世界」
講座が始まるといつも感じるのだが、あっという間に最終回が来てしまう。いつも講座では毎回の終わりごとにレビューシートを設け、講座の感想などを書いてもらい、その一つ一つに対して私が返信をしている。提出は任意で、かつ提出締め切りが講座があった週の日曜日までなので、提出までにほとんど時間はない。
でも、なんだかんだいって毎回1/3くらいの人が提出してくれる。私としてもどういうところが面白かったのか、どこでつまづいたのかなどがわかったり、思いもよらない専門家が潜んでいることが判明したりと、レビューシートは大切な場だ。
とはいえ、今回扱う『汚穢と禁忌』は、翻訳者が翻訳に難渋するほど固い本であるため、新たに二つの試みを追加。
- Slack内のtimesチャンネル(任意)
- アーカイヴの提供
timesチャンネルは、Slack内の個人Twitterのようなものなんだけど、思いのほか皆さん気ままに呟いてくださっており見ていて楽しい。その中でやんわりやりとりが起こっていたりしてこれも面白い。
本が難しいだけに、誰かが「全然わかんない…」というようなつぶやきをすると周りも安心するようだ。
アーカイヴについては、「アーカイヴって本当に観るの?」という疑いがあったため、ちょっと躊躇いがあった。しかし今回に関しては本当に復習に使ってくださっている方が一定数おり、また仕事とか具合が悪いとかでどうしても参加が叶わないという方も観てくださっているので出して良かったと思っている。
が、やはりアーカイヴになると講座を楽しむというより、いかに効果的にスピーディに知識を蓄積するかという方にマインドは流れがちだろう。早回しで見たり、見たい部分だけを探したりなど。
でもこれは私が提供したい学びとは正反対のもの。こういうのを求めているなら、ネットで単語検索してもらったほうが良い。なので私としてはアーカイヴありきではなく、本番ありきで参加してもらえたら嬉しいなと思っている。学びって、何が起こるかわからない面白さとか、誰かがそこで何かを語っているといった臨場感にこそ本質があると思うから。
そういえば、FILTRの磯野講座はスタッフが妙に真剣に学んでいることが妙な特徴。数日前、人類学とは全く縁のない人生を歩んできた事務局の田中さんからー
どうしてダグラスはこんな難しい言い方をするんでしょうか。もっとわかりやすい言葉で話してほしいです…
という、ご連絡が届いた。いや、私もそう思います笑
田中さんは『汚穢と禁忌』を図書館で借りて真剣に読んでいるのだが、これを延長で借りた人は、この図書館が開設されて以来何人いるんだろうと思っている。
*参加者の皆さんには『汚穢と禁忌』を用意してもらっていますが、図書館でも構いません。
前半最終回、そして今年最後。予想を超えて多くの方が前後半両方申し込んでくださっているので、多くの皆さんには年明けまたお会いすることになるんだけど、これで終わりの方もいらっしゃる。充実した時間を過ごしてもらえるよう、今日も頑張ろう。
2022年12月21日 表向きのポリティカル・コレクトネスに疑義を唱えるダグラス
とうとう今週で前半は最終回。5章「未開人の世界」でダグラスは、1章の宣言である「分断された人間経験のいくつかの統合」に乗り出す。燃える…
実はこの章、ポリティカルコレクトネスの先駆けみたいな話もされていて、例えばこちら。
私はむしろ、「未開*」なる用語を避けようとする専門家の思いやりは、自らの優越を密かに確信していることの結果だと考えるのだ。
メアリ・ダグラス『汚穢と禁忌』第5章 p187
*翻訳は「原始的」なのですが、原著のprimitiveはここ以外の箇所では全て「未開(人)」といった形で「未開」に統一されているので、ここでは他と合わせました
ここでダグラスは、ある言葉を使うことをやめたり、あるいは分類するのをやめたりした結果、考えることすらやめてしまうという的確かつもっともな批判を、彼女が大きな影響を受けたエヴァンス・プリチャードも含めたイギリス人類学会に放つのだ。かっこいいぞ、ダグラス。
またレビューシートにはこんなご感想が。
1章が大事だな~と思えて、何度かアーカイブを見て。読むんだけどやっぱ1章は難しい。それでも読める感じになってきているのですごい嬉しいです
そうなんですよね。1章って、背景知識がないまま読み出すと「なんのこっちゃ?」ってなるんですが、じわじわ効いてくるのがこの章。
5章をどう進めたらいいか、磯野は未だ頭を悩ませ中です
2022年12月17日 木と金で内容を一新する
今週は、『汚穢と禁忌』の第4章「呪術と奇跡」。今週は木曜日と金曜日で講義の内容をガラリと変えた。ポイントを理解するという上では、金曜日の方がいいと思うが、教科書をきちんと読むという点では木曜日に軍配が上がるだろう。
あまりに違うので今回は両日のアーカイヴをアップロード。
全く同じ文章を扱っているのに内容がここまで変わるのは自分でも面白い。登場人物と筋書きがある程度決まっていても、物語は全然違うものに作ることができるのとよく似ている。
来週は前半の最終回。あっという間。
2022年12月15日 人生に意味を与えるもの
講座はあっという間に4回目。前半は来週が最終回だ。
それにしても『汚穢と禁忌』の第4章は本当に面白い。従来の呪術の見方を鮮やかに変えながら、最後は今一度、呪術がもたらす効果とは何なのか、という問いに戻る。そしてこの一言。
不合理なアリババではなくて権威あるフロイトの姿こそが、原始的儀式執行者を理解する原型なのである
メアリ・ダグラス『汚穢と禁忌』p180
ダグラスが亡くなった際、イギリスのガゼットタイムズが「非欧米文化で得られた見解を欧米社会に応用し、結びつけたことがダグラスの功績である」と追悼文の中で述べた。
本書に一貫して現れるその試みは、この一文にもしっかり表れている。が、当時この本が受けなかったのもわかる。発売後200部くらいしか売れなかったらしい。「未開人の呪術と欧米の高尚な精神分析を一緒にするなんて!」ってなった人も多いんじゃないだろうか。
そしてさらにこの一文。
原始的呪術は無意味であるどころか、まさに人生に意味を与えるものであるのだ。
メアリ・ダグラス『汚穢と禁忌』p181 *原著で「人生」の箇所は”existence”となっています
ダグラスの敬虔な信仰があって生まれたものだと確信する。
だいたい毎日更新しようと思っていたのに、6日もほったらかしてしまった…
2022年12月9日 ハイジはアニメになり、人間はツルツルになる
先週の木曜日の「現代社会の完全な肉体」についてのディスカッションでは、児童書のアニメ化が話題になり盛り上がった。こちら「汚穢と禁忌」を超え、私の関心ごとでもあるので今回の日記はスピンオフさせ、別にポストを立てました。
2022年12月6日 受講生のレビューシートをちょっと紹介
これまでの講座は5週間ぶっ続けでやっていたんだけど、それだとちょっと大変なのでは?、と思って今回は3回目と4回目の間にお休みを入れてみた。お休みは思いのほか好評。確かに本は難解だし、皆さんフルタイムで働かれていたりなど忙しいし、ちょうどいい息抜きになるのかもしれない。
あとアーカイヴを何度もご覧くださっている方から、視聴期間の延長のご依頼があったので1週間延長することに。こちらもかなり好評をいただけている。アーカイヴはない方がいいんじゃないかとか、あっても誰もみないんじゃないかとか思ってただけどそんなことはなかった。
今週はお休みですが、レビューシートは着々と提出されています。今日は少しだけご紹介。
受講生は語る
他の方のレビューシートと、それに対するコメントを読むと、新しい扉が開けた気になると気づきました。楽しいです.
講座を受けるたびに、他の受講生が書いたレビューシートと私の返信を楽しみにして、その全てに目を通してくださっている方。私は「みんな」が苦手なタイプだが、そんなこと言っても「”みんな”の学び」には価値がある。
私はプロテスタントのクリスチャンなので、カトリックであるダグラスのレビ記の解釈は、同じ信仰をもっている者として熱い気持ちで受け止めることができた。特に、「正義と道徳的善良とは当然聖なるものを説明し得るだろうし、その一部を形成するものではあろうが、聖なるものとはそれ以上の観念を含んでいるのだ。(p135)」あたり。まるで日曜に牧師先生の説教を聞いているような内容で、ダグラスの熱い信仰を勝手に感じて、私も熱い気持ちになった。
クリスチャンがマイノリティになる日本においては、大変に貴重なご意見。『汚穢と禁忌』は敬虔なカトリックであるダグラスの信仰がなければ絶対に書けなかった本であるはず。信仰と人類学は両立するのか?、みたいなことも言われたらしいが「科学」への妙な信頼も信仰みたいなものだと私は思ってる。
なぜ批判がブタの箇所に集中し、そしてなぜそれにダグラスが陳謝したのかという問は、一人で読んだら絶対考えない視点だな、と思ったし、それをダグラスの人生や時代背景と絡めて想像する、というのは、私にとっては新しい本の読み方でした!
3章の豚の解釈について、執筆から数十年も経ってから「I have been very sorry」とまでダグラスに言わせた背景は一体なんだったのか。答えは出ないか考えるのは楽しい。
この章を読んで、途中から「宗教上の禁忌」を読んでいるのか、漢方の処方の古典を読んでいるのかわからなくなりました。私にとっては、それほど動物の羅列がある文章=古典医学というイメージがあったのだと気づきました。例えば、鍼灸師ならば全員知っていると言っても過言ではない「紫雲膏」という軟膏があるのですが、こちらに豚脂が含まれます (中略)ヒルの一種も血液凝固を防ぐ作用のために用いることもあるそうです。
この講座にはいろんな専門性を持った方がいらっしゃるため、その方達が人類学を自分の分野に引きつける際の発言にはいつも目を開かされる。先週は、ダグラスのいう「聖」は、「公理」とそっくりとおっしゃる数学の先生がいらっしゃった。
これを読んで、漢方外来のフィールドワークをしている時、保険外の処方の1つとして「ゴキブリの粉末」が置いてあったのを思い出した…。
磯野さんの「ラクダ」の誤字が「ラクグ」となっていて、句読点は書いているのに、タの棒を忘れるというのはなんとも斬新な誤字だなと思った。
新鮮すぎて本人もびっくり。
2022年12月4日 「ダグラス反省会」とFILTR忘年会が別々に開かれる
昨日の12月3日(土)の朝、有志の受講生が集まり本当に反省会が開かれていた。正式名称はー
【FILTR x 新潮選書 「人類学の古典に親しむ – メアリ・ダグラスというエアポケット」 人類学者・磯野真穂】前向きになれる反省会
皆さんのSlackを見ていると、かなり盛り上がったらしい。同じ本でも注目するところは少しずつ違うし、講座はどうしても一定のスピードで進んでしまうのでもう少し考えたい、というのもあるだろう。また講座は木・金で分かれているけど、反省会は一緒になっているのでもう1つの曜日の人と会える面白さもあるかもしれない。
奇しくも昨夜は、私の別のFILTR講座に参加した方達が忘年会を開かれていた。幹事の皆さんはどこかにリアルで集まってハイブリッド開催をしていたらしい。実はこの忘年会は3回目。もう3年も経つのか….
1つのことを学んだ人たちがこうやって今もつながり続けていてくれるのはとても嬉しい。
2022年12月2日 「オンライン講義をどうやるかーSlackのtimes導入の試み」
FILTRやシューレの講座に来てくださる皆さんは、学びの意欲がとても高いため講師の私もとても楽しい。
とはいえ、オンラインだとどうしても講座に「余白」が生まれにくくなる。なので今回は初の試みとして、Slackのtimesチャンネル作成を皆さんに呼びかけてみた。
timesは簡単にいうと、Slack内のTwitterみたいなもの。個人が自分のtimesチャンネルを作って呟く。呟きなので反応しなくても、してももちろん良い。(もっと知りたい方はこちら)
現在3割くらいの人が作成して呟いてくれている。全くわからない…と呟く方、仕事で「汚れ」の概念をすでに応用している方、動物の目撃情報を載せる方など、平和な空間が広がっていて楽しい。Twitterも初めはこういう空間を狙っていたんだろうなあ、と思う。
少しずつ開設する人が増えているので、皆さん楽しんでくださっているようだ。
加えて、講座外でのちょっとした集まりを企画してくださる方もいる。今週末は「 前向きになれる反省会」が開かれるらしい。いったいどう前向きになれるのだろう。集まった人が主催者だけでも開催されるとのことです(笑)。
そういえば明日(3日)は、以前の講座に来てくださった方たちによるオンライン忘年会が開催されるとのこと。
こちらは、これまで開催されたFILTR磯野講座に参加し、その上で受講生限定のFBページに参加されている方ならどなたでも参加できます。お時間ある方はFBページのご案内をぜひ参照ください!
2022年11月30日 「死んだカメレオンにさわると夕方まで汚れる」
旧約聖書の「レビ記」と「申命記」で汚れているから食べちゃいけないとされている生き物。
- のうさぎ
- ラクダ
- いのしし
- もりふくろう
- こうのとり
- 羽のある昆虫
- カメレオン
一体なんなの?ってなりますよね。
当時の学者の皆様もそうだったらしく、「腹を引きずってのたくりながら進む爬虫類」が禁止されているのは、それが「 貪欲で情欲に溺れる人」を象徴するから、といった解釈が試みられたそうな。
なるほどカメレオンを食べると、貪欲で情欲に溺れる人になるのか!
とは、ならないですよね。たぶん。
ではダグラスの解釈はいかに。
ところで、清い動物であるカモシカの目撃情報が受講生の方から届きました。磯野は昨日、ハトに近づきすぎて派手に逃走されました。(3章にハトについての記述はなし)
みんないろんなところに住んでいる。
2022年11月29日 「古典の読み方③ー”汚らわしいもの”を”はぐれもの”と読みかえる」
メアリ・ダグラス『汚穢と禁忌』。早いもので今週は第3章の「レビ記における”汚らわしいもの”」
難解な古典をなんとか読むため、ビールを飲む、音読する、人名を無視して最後までとにかく読む、など様々な工夫を凝らしている受講生の皆さま。
3章についてもまたまたクリエティヴなご意見が。
汚れたものをはぐれものと読み替えると頭に入ってくる。切ない。レビ記をこんなセンチメンタルな気持ちで読むとは思ってもいなかった。
まじか?
と思ってやったら、本当に切なくなります。
実はここ、3章の結構本質的な部分です。ダグラス自身もここの部分の言葉のチョイスで大変な批判を受けたと序に残している。
原著でも「汚らわしい」じゃなく、「はぐれもの」にしていたら批判が少なかったかもしれない。現代の炎上を考える上でも参考になる章です。
2022年11月28日 「メアリ・ダグラス『汚穢と禁忌』の関連資料 by 受講生編」
『汚穢の禁忌』の1章&2章に触発された皆さんが色々な資料をご紹介くださっています。とても面白いので一部紹介。本書をお読みになったことがある方は「なるほど!」と思うかもしれませんし、思わないかもしれません。
2022年11月25日「 “外出時に着ていた服を布団の上に置かないで!”。 じゃあ家の”庭”で着ていた服は?」
第2章「世俗における汚穢」。2章のテーマは大きく2つあるんだけど、そのうちの1つは「生み出された曖昧なもの」にどう対峙するかということ。
分類は人間が生み出すものだから、必ず分類にうまく入らない曖昧なものを生み出してしまう。
これは『汚穢と禁忌』の序論や2章でダグラスが何度も強調するポイント。例えば、黄と緑という分類を作ったら、黄のような緑のような色というのが出てくる。で、それを黄緑と読んだとしても分類が終わるわけではない。なぜなら今度は黄緑のような黄色とか、黄緑のような緑が必ず出てきてしまうからだ。
2章の最後ではこのような曖昧なものについて人間は集団としてどう対処するのか、という話が出てくるんだけど、考えやすくするため、次のようなディスカッションの話題をみなさんに出してみた。
あなたは、「布団の上に外出時の洋服を乗せないで!汚らわしい!」と強く考える人です。あなたではない誰かが家の庭に出た後に、その洋服を脱ぎ、ベッドの上に置いていました。あなたは「嫌だ」と思いましたが、相手は「家の外には出ていない」、「”庭”に出ただけだ。だから問題ない」と反論してきます。あなたはどう反論しますか?
なぜこの問いを考えてもらったかというと、「家の庭」というのは、「家」と「家の外」の中間にある場所だから。これに対しみなさんが考えてくれた回答が相当面白くー
外気に触れたらもう全部ダメ
何をもらってきたか分からないでしょ
窓やドアから一歩出たらそこは外です。家に入ってと言われてあなたは庭にいますか?と聞きます。
ただ、これって実は反論が可能で、例えばこんな感じー
え、だって洗濯物庭に干してるじゃん。なんであれは布団の上に置いてよくて、私が庭で着ていた服はダメなの?
みたいな反論がいくらでもできてしまう。そうするともう屁理屈合戦が始まってー
洗濯物は天日干しされてるから
そうですか。ですが私は洗濯物と同じくらい庭にいました。なので私が着ていた服は天日干しされています
みたいな感じになり、こうなってくると「”天日干し”とは何か?」みたいな感じに議論がスライドして、文字通りエンドレス。
コロナ禍では、こういうことが頻繁に起こっていたと思う。「濃厚接触者とは誰か」、「濃厚接触者の濃厚接触者は大丈夫なのか?」といった永遠に終わらない議論。
こういう混乱をエビデンスで線引きしようみたいな努力がずっとされていたわけだけど、これをやりだすと絶対に終わらない。分類を作るのはエビデンスじゃなくて、エビデンスを参考にしたとしても最後は人間だから。
なので24日にも出したダグラスの言葉をもう1度。
汚れに関する我々の概念から病因研究と衛生学とを捨象することができれば、そこに残されるのは、汚物とは場違いのものであるという例の定義であろう
メアリ・ダグラス『汚穢と禁忌』p103
今週も受講者の皆さんのコメントがいろんな意味で機知に富んでいて、とても楽しいディスカッションをさせてもらいました。
そして来週は第3章「レビ記における汚らわしいもの」。『汚穢と禁忌』で最も注目された章の1つといってもいいところに入ります。
2022年11月24日 「なんでも科学で説明しようとしてはいけないし、できない」
汚れに関する我々の概念から病因研究と衛生学とを捨象することができれば、そこに残されるのは、汚物とは場違いのものであるという例の定義であろう
メアリ・ダグラス『汚穢と禁忌』p103
今週の講座は、第2章「世俗における汚穢」。第2章の前半は汚いの観念を医学と切り離すことに重点が置かれる。飛沫の拡散状況を示すため、スーパーコンピューター「富岳」がやたら使われたことから分かるように、コロナ禍は「なぜそれをしたらダメなのか」を科学的(≒医学的)に明らかにすることに全力が注がれた。
しかしダグラスは、そうやって何でもかんでも科学(≒医学)に落とし込もうとするから、余計にわからなくなると指摘する。
科学至上主義が強力な昨今だからこそ、この2章は大切。
そして後半は、曖昧なものに対峙した時、人間はどういう行動を取るのかが4パターンで示される。『汚穢と禁忌』のこの箇所が注目されているのを私は見たことはない。けれど「生きる」ことを考える上で大変に重要な箇所であるし、またこの4つの議論が続く章で掘り下げられていくところも見所。
受講生の皆さんは、p111の「たまたま人間から生まれたカバの子」に注目しているようだ…
あ、動物のカバのことです。
2022年11月22日 「今日はいいふうふの日らしい」
第1回講座のレビューシートへの返信終了。講座は木・金、レビューシート提出締め切りは日曜日であるにもかかわらず、半数の方が提出くださっていた。ありがたい。とりあえずわからなすぎて撃沈していた皆さんのモチベーションを保つことは成功した模様で安堵する。
新潮選書の三辺さんと、FILTRの二宮さんとミーティング。受講生の皆さんの発言に味があるので、書籍化の際は匿名化したのち、いくつか入れ込ませてもらうことになりそう。(無断では使わないのでご安心ください。「聞いてないわ!」みたいなことはないようにいたします)
講座の最後では自分の読書を踏まえ「汚穢と禁忌」の帯を作成するイベントをすることになっているんだけど、事務局・田中さんが、その帯を(頼んでもいないのに)早々に作成。面白くて吹いた。普通事務局は、事務仕事を淡々とこなすだけで講座内容には関心がないものだが、田中さんは違う。第1回目講座の名前の後ろには「わからなすぎて音読した」と書いていた。始業開始前に職場でやってみたらしい。しかしその努力虚しく、理解は深まらなかったとのこと。 (磯野講座では、Zoomの表示名の後ろに「今日のお題」を入れてもらっています。初回のお題は、序と1章を読んで感じたこと)
今回初めて講座のSlackを作成。timesを有志で作ってもらうことにした。timesはSlack内の個人チャンネル。Slack内の個人Twitterのようなもの。(詳しく知りたい方はこちら)すでに数名の方が呼びかけに応え作ってくれているが、義務でやるものでもないし、やることがプレッシャーになるのもいけないので、皆さんの様子を見つつ、続けるかどうかを考えたい。とはいえ、それぞれのtimesはやはりとっても面白い。
邦訳タイトルをなぜ『汚穢と禁忌』にしたのかを、当時の関係者の方に教えてもらう。ちなみに英語名は、”Purity and Danger- an analysis of concept of pollution and taboo”。邦訳では副題がそのまま書名となったと考えることもできるが、”pollution”は普通「汚穢」とは訳されない。いろんな意味で非常に面白いお話が伺えた。この件については今週の2回目で。
今回の講座は初めてのアーカイヴ付き。「アーカイヴってどうなんだろう」と思う部分もありながらの公開だったが、思いのほか多くの方が見てくださっていた。
ところで今日はセブンに行ったら、店員さんが「今日はいいふうふの日です」というバッチをつけていた。本講座に、ふうふは多分いないが、親子はいる。しかも示し合わせて申し込んだわけではないらしく、Zoomに繋いだら母がいた、娘がいた、というシンクロらしい。素敵。
2022年11月21日 「古典は緩急をつけて読む」
メアリ・ダグラス 『汚穢と禁忌』。多くの受講生の皆さんがあまりのわからなさに撃沈していた。
固有名詞がどんどん出てきて、呆然としていたため、レクチャーを聞いて読み直す気力が湧きました。メアリダグラスはやる気をバシバシ折ってくる。ひどい。
人生で出会った難解な著作、二冊目……と思いながら読み進めました。ビールを飲んで頭を柔らかくしようとしてもダメだった
講座を受けて、日本語が理解できていないわけじゃなかったんだと思いました。
第1章を読みながら、自分は漢字の意味を理解できていないのではないだろうか?となぜか辞書を引っ張り出して読んだりもしていたので、ちょっと安心しました。
などなど。
古典の読み方については、講座開始前にこちらでも一度ふれた。それに少し追加すると、読む際の緩急がつけられるといいと思う。ここまで文章が難解な場合、気合を入れ最初から最後まで同じ熱量で理解しようとすると息切れする。これはスポーツも同じ。技量の高い選手は力の緩急が見事だが、初心者は力が入りすぎてガチガチになるため疲れるし、滑らかな動きができない。
とはいえ、初心者が迷うのは、どこで力を抜くか、どこで力を入れるのかがわからないこと。なので今回の講座ではそれができるだけ掴めるよう、重要人物のリストを作り、人物関係図を作ったり、年表を作ったりしながら進めている。
レジュメの最後に貼ってくださってあったmiroの人物年表はすごくわかりやすかったです。
実際結構好評だったみたい。「力を抜いて」はよくなされるアドバイスだけど、これって言われたほうは意外と再現するのが難しい。
最後に夜中に笑った感想を一つ。
終わってから、再読したらわかるような気もしたけど、寝ました。
このくらいの力加減で行きましょう(笑)
2022年11月19日 「バスタオルとパジャマ問題」
木曜日に続き、金曜日も無事に終了。不思議なもので木曜と金曜で同じ箇所を扱っているのに内容は完全に同じにはならない。
今日は、受講生さんが「こういうことがどこかに書かれていた」みたいなことを言うと、すかさずチャットで「(それは)○ページです」みたいに教えてくれる方が必ずいて、とてもスムーズに授業が進んだ。初めて集まったのになぜこんな連携が起こるのか?
それにしても「汚さ」にまつわる話は何度しても面白い。昨日と今日のディスカッションで出ていたのは、「パジャマは何日ごとに変えるべきか」とか、「バスタオルは毎回洗うべきか」とか。
「一晩寝るたびにコップ2杯分の汗をかいてます」とか言われると毎日変えないとやばい気がする。でも「寝る服なんだからそんなに頻繁に変える必要ない」というのも頷ける。バスタオルに至っては、「洗ったばかりの体を拭くタオルなんだから毎回変える必要ない」という意見と、「体を拭くタオルなんだから毎回変えないとやだ」という意見の衝突。どっちも一理ある。
「汚穢と禁忌」の面白さは、こういう日々の何気ない出来事が「人間とは何か」という壮大な問いにつながっていくところで、講座ではそのあたりを楽しんでもらえたら嬉しい。来週も頑張ろう。
本日も終わった直後なのにすでに感想を書いてくださった方が。ありがとうございます。
レビューシートより:
- 全然頭に入っていないしよくわからないし、間違えたかも!と思いながらひやひや受けていたが、話が最高に面白く、やっぱり受けてよかったと思った。
- 第1章を読んで改めて人類学が宣教師と植民地支配と分かちがたく結びついて発展してきたことを思い出し、19世紀にはそこにさらに進化論が絡んでめったやたらと複雑なことになっていたんだというのを知りました。
2022年11月18日 「とうとう開幕」
FILTR✖️新潮選書『人類学の古典に親しむーメアリ・ダグラスというエアポケット』が昨日スタート。
私がノースフェースのパーカーを着てくることを見越して同じパーカーで現れてくださった方、「終わったらベッドに直行計画」でパジャマ受講の方、うどんみたいの食べている方など、相変わらず自由な感じで楽しい。(磯野講座は飲食飲酒、踊り・歌など自由です。音が大きい場合はミュートでお願いします。)
また20時スタート21時30分終わりというスケジュールであったにも関わらず、早速レビューシートを書いてくださっている方。
- 講義が面白く、なんだかたくさん発言してしまって、周りの方のご迷惑になっていないか心配です。 (←なってません!笑)
- 事前に本を読んだときに、メアリダグラスさんがいう「感染」ってどういう意味なんだろうと気になっていました?「感染」という言葉について最後ご説明くださりありがとうございました。
- デュケルム、フレーザーなど登場人物のイメージが立ち上がってきました。登場するたくさんの人名で(読むことを)諦めなくてよかったです
- すべてを同じ濃度で教科書を読むように説明されるわけではなく、飛ばすところは飛ばし大事なところを強調し、ディスカッションで身近な例にも思いをはせながら進められるのがとてもわかりやすいです・・・「おわい」という言葉をweb検索したら「きたないもの。特に、大小便。」と出てきました。この本での使われ方にも注目したいです。本の表紙の土の絵も、汚いととらえるのか甲子園の土のような神聖さでとらえるのか、解釈により異なりそうですね。(←深い…)
など。遅いのにありがとうございます涙
あとすでにTwitterで発信くださっていたり…
下のブログで書いたように1章は特に難解で、ともすれば完全に漂流してしまってもおかしくない。でも皆さんが「とにかく読んで」くださってあったのでとても助かった。
講座の後は毎回「これでよかったのだろうか…」という思いに悩まされるのだが、今回は古典を読むという初めての試みであるため、これまで以上に不安がある。
あれでよかったのか?
あれでよかったのか?
あれでよかったのか?
なんか碇シンジみたいだ。
とはいえ、やってよかったと思うのはー
- 登場人物の整理(年表とダグラスとの関係。年表miroで作成。)
- 読解に絶対に必要となる背景知識
他方で、改善点と思うのはー
- どうしても解説が多くなってしまう。
- 講座内において「本を読む」という体験が乏しかったのでは?
の2点。今日の金曜日に生かそう。