5月に柏書房から刊行され、発売開始2週間で重版が決定した『コロナ禍と出会い直す 不要不急の人類学ノート』。
7月は、京大の人類学者 石井美保さん(7/6・日経新聞)、阪大の経済学者 大竹文雄さん(7/13・ 毎日新聞)の書評が続いています。
このタイミングで私からも、本書の5つの特徴を紹介することに致しました。ぜひ読書の参考にしてください。
市井の人々の視点から描くコロナ禍 ー「空気」や「同調圧力」のその先へ
コロナ禍についての書籍はすでにたくさん出ています。
しかしその多くが、政治に関わる人々がどのように政策を決めていったかとか、影響力を持った専門家が政治や社会にどのような働きかけをしていたかとか、「リーダーの視点」から見たコロナ禍に終始しています。
また、そのようなリーダーの視点を批判するものも多くあります。しかしそれらはそのようなリーダーの視点を、データなどを用い、俯瞰的な観点から批判する方法をとっています。
本書は、上記のいずれとも異なるます。
本書はむしろ、リーダーの視点や言動の影響を受ける市井の人々の考え方や感じ方、行動の仕方に目を向ける手法を取りました。ました。
県外ナンバーに冷ややかな目線が投げかけられたのはなぜなのか。
多くの人がコロナに罹ったことを謝罪したのはなぜなのか。
アクリル板やビニールシートは、なぜ至る所に設置され続けたのか。
このような問いは、同調圧力とか、空気とかいった言葉で片付けられがちです。しかし本書は、同調圧力や空気で議論を終わらせることなく、人類学を使ってその先まで議論を進めました。なぜなら人類学は、明文化されていない規則を捉え、分析することを得意とする学問だからです。
この点については、歴史学者の澤井勇海さんが、ご自身のXで言及くださいました。
人を数値に変換しない ー 個別具体と俯瞰の往復
コロナ禍では、エビデンスといった言葉に象徴されるように、数値を用いた現状提示や予測が至ることころで行われ、疫学に秀でた人たちの言葉に注目が集まりました。もちろん数量データは大切ですし、それを扱う学問にも十分な敬意が払われなければなりません。
とはいえ、人間は数値ではないことも事実。
私の専門である文化人類学は、聞き取りと観察をもとに、人間を数値に変えずに理解する方法を古くから探索してきた学問です。
数字を駆使する研究を「量的調査」、語りや観察をベースにする調査を「質的調査」と呼びます。本書の魅力の一つは、この質的調査を行なってコロナ禍を分析したこと。
とはいえ質的調査は、個人の感じたことや経験したことを自由に描くエッセイや日記、あるいは一人の人生を丹念におったルポルタージュなどとは異なります。
人類学の醍醐味は、語りや観察から得られた人間についての「質的データ」を、その人たちを取り巻く社会や、歴史の流れと結びつけ、一人の経験が、その人を取り巻く世界とどのように繋がっているのかを明らかにできること。
本書では、主に医療人類学の理論を用い、個別具体的な事例が、当時の制度や、社会状況、あるいは日本の歴史とどのように結びつき、どのように影響されたのかを分析しています。
医療人類学の観点から捉える「身体」と「病気」
身体や病気というと、医学や生物学の視点を思い浮かべる方が多いと思います。しかし身体は常に社会の中にあり、また病気になるときも、その周りには社会があります。
医療人類学は、私たちの身体が、社会がどのように関わっているのか、社会の中で病気はどのように起こっているのかを、独自の概念を使って明らかにしようとしてきました。
他にもたくさん病気はあるのに、なぜコロナだけが3年にわたり、殊更に注意をしなければならない病気として扱われたのか。感染予防のためなら、他のことが犠牲になるのは仕方がないとされたのはなぜなのか。
本書では、医療人類学の基本概念である「疾病」、「疾患」、「病気」、さらには「個人的身体」、「社会的身体」、「政治的身体」という概念を使って、具体例とともに分析を進めています。
特に後者の3つの身体については、読者の皆さんが目を開かされたと、面白がってくださる箇所になっています。
和を持って極端となすー日本社会の感じ方の癖
最近の日本の人類学は「社会」とか、「文化」とかいった言葉の利用を避ける傾向にあります。その理由には頷けることもあるのですが、新型コロナ、あるいはCovid-19という病気への対応は、国ごとに際立った特徴が現れるものとなりました。つまり社会や、文化の存在が比較を通じてありありと浮き出る状態となったのです。
これを踏まえ本書では、社会、文化という言葉をあえて積極的に利用し、日本社会の「感じ方の癖」を論じることを試みました。
コロナ禍における、日本社会の「思考の癖」を歴史的な観点から論じたものは多くありますが、「感じ方の癖」という身体性を論じた点は、本書のオリジナリティの一つと考えています。これが魅力の4つ目です。
フィールドワークを自粛しない
人類学の調査の基本は現地に赴くフィールドワーク。しかしコロナ禍では、フィールドワークをオンラインインタビューに切り替える人々が現れました。
フィールドに行けない状況に多くの人類学者が陥ったので、仕方のない部分はあったのでしょう。それぞれに色々な事情があったのだろう思います。しかし、渡航規制がかかっていない地域をフィールドにする人類学者まで、調査を早々にオンラインに切り替え、その調査のやり方を「新しい可能性」として語り始めたのは衝撃でした。
私は人類学の門番ではないので、「これは人類学ではない」などと言うつもりはありません。しかし私は、自らが現地に赴くフィールドワークの力を信じていたため、現地の人々の協力を得ながら、2021年の夏より、ワクチン、検査、マスクといった複数の感染対策をとりつつ、国内でのフィールドワークを開始しました。
フィールドワークの醍醐味は、方法の中に偶発性を取り入れていることにあると、私は考えます。
たまたま出会った人に連れて行かれた先で、調査の核になる出来事に出会う。協力者の予想もしない一言が、より本質的な問いのきっかけになる。
フィールドワークでは、よくあることです。
最終章で描かれる介護施設「いろ葉」のエピソードは、本書の核心となる部分ですが、最初から狙って「いろ葉」を訪問したわけではありません。フィールド先でのたまたまの出会いが、私を「いろ葉」に導いてくれました。
本書の魅力の5つ目。それは、フィールドワークを自粛しなかったことにあります。
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【書評】
「命と命」の問題と指摘する冷静さ(毎日新聞):評者 大阪大学・大竹文雄(経済学) 2024年7月13日
日本社会の和という名の毒(日経新聞):評者 京都大学教授 ・石井美保(人類学) 2024年7月6日