東工大着任と「応用人類学研究所・ANTHRO(アンソロ)」設立のお知らせ

東工大着任に当たって

本日4月1日より、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院に教授として着任することになりました。担当する講義は全て人類学です。

これまで私がやってきたことを、大変高く評価していただきました。「人類学としては評価できない」とか、「人類学じゃないところにばかり書いている」とかいったことを言われるのにすっかり慣れっこになっていたため、こんな人たちがいるのかと驚きました。

あと、よく勘違いされるのですが、私は啖呵を切って大学をやめたのではなく、契約が切れたのです。

なので、こんな言葉をかけてくださる教員の方たちと働いてみたいと素直に思いましたし、人類学のための人類学ではなく、応用するための人類学をやってきた私にとって、東工大はぴったりの場所だとも思いました。また今年度、医科歯科と統合がなされるため、その意味でもよく合います。

また在野でやってきたことをやめる必要はなく、むしろそこを評価しているので、両立はもちろん構わないと言っていただけたことも決め手となりました。本務が優先であることはもちろんですが、東工大は教員の起業なども奨励する、先進的な方針をとっているそうです。こんな大学もあるんですね。

東工大では4つの人類学の授業を担当します。シラバスも、かつてなく時間をかけて作りました。東工大の皆さま、今月よりどうぞよろしくお願いいたします。

もくじ

「応用人類学研究所・ANTHRO(アンソロ)」を設立します。

東工大着任にあたり、自分の立ち位置をよりはっきりと表明すべく、「応用人類学研究所・ANTHRO(アンソロ)」を設立し、所長になることに致しました。といっても、法人を作ったとか、これまでと全く違うことを始めるとかではありません。これまでやってきたことをますます加速させるという意味での決意表明です。所長になるといっても、自分で勝手に就任しただけ。

とはいえ、「応用人類学研究所・ANTHRO(アンソロ)」ってなんのこっちゃ?、と思う人もいると思うので、その名前の意味を説明しますね。

ANTHRO(アンソロ)ってどんな意味?

“anthro”は、”anthropology=人類学”のカジュアルな言い方です

留学中に”Hey, anthro folks!” などと言って、院生の友人たちが呼び合っているのを耳にし、素敵な響きだなと思っていました。「人類学の仲間達!」みたいな感じでしょうか。日本語でいうと変な感じだけど。

私が目指す人類学は、街の美味しい洋食屋さん。限られた人だけに入店が許されるような、「三つ星レストラン的人類学」ではありません。

難解な言葉を並べるのではなく、誰もがわかる言葉で人類学を提供したい。ずっとそのように思って活動を続けてきました。

その意味で、”ANTHRO”は、私にぴったりの言葉なのです。

また”ANTHRO”には、私だけの思い出もあります。2020年3月、私は教員任期が終了し失業者になってしまいました。社会に人類学を応用する前に、私自身が路頭に迷うことになったのです。いやはや、全くもって笑えない。

失業の終わる日に、”ANTHRO” が降りてきた

ハローワークに行き、失業保険をもらって生活しながら、人類学のオンライン講座を立ち上げる準備を整え、それが終わると同時に、失業保険の停止の手続きをしました。

それと同時に行ったのが青色申告。個人事業主になるため手続きです。その申請書に、「屋号」(個人事業主が商売をするときに使う商店名)の欄があり、当然そんなものは考えていなかった私は、とっさに”ANTHRO”と書き入れました。

その意味でANTHROは、文化人類学という意味を持ちながら、私自身の「始まり」も意味する言葉なのです。あの時の気持ちを失わないまま活動を続けるためにも、”ANTHRO”を名称に入れました。

応用人類学とは?- 人類学を社会の中で使っていこう

私は、オレゴン州立大学留学時に、スポーツ科学から人類学に専攻を変更し、修士号を取りました。でも正確に言うと、私の修士号は「人類学」ではなく、「応用人類学」(applied anthropology)です。

応用人類学とはその名の通り、現実世界で起こっている問題を人類学の知見を使って分析したり、改善をしようとしたりする、人類学の1領域のことを指します。

あくまでも私の理解ですが、日本の人類学は理論志向が強く、応用人類学の評価は高くありません。つまり研究において、人類学をどう応用したかより、人類学の理論を発展させたかどうかに評価のポイントが置かれるということです。

他方で応用人類学が、人類学の古い1領域であることも事実です。例えばアメリカ人類学会の1セクションである、Society for Applied Anthropologyは、1941年に発足しています。

修士時代に学んだ応用人類学の活用事例としては、先住民が州に対して起こした訴訟に勝つため、人類学者が裁判で証言をする、病院内でのコミュニケーションのコーディネーターを務める、新商品がどのように使われているかを現場で調査するといったものがありました。

私の専門は医療人類学ですが、医療という現実世界で起こっている問題を分析し、時には提言も行うので、応用人類学に大変近い領域と言えます。

私は修士をとってから今に至るまでの20余年あまり、応用人類学者としてのアプローチを取り続けてきました。しかしこれまで、文化人類学とか、医療人類学とかの方がわかりやすいと思い、「応用人類学」を前面には出さなかった次第です。

ですが東工大への着任にあたり、私の人類学のスタンスをわかりやすくすべく、「応用人類学」の名称を前面に出すことにしました。ANTHROと同様、これからの私に、こんなぴったりの名前はないと思っています。

ANTHROは何をするの?

これまでの延長というのは、具体的にはこんな感じです。

  • 調査、執筆
  • 人類学の講座(FILTR,からだのシューレ)・出前授業
  • 講演・ワークショップ
  • プロジェクト参画
  • 新規事業に向けた企業への知見提供(過去の事例として面白かったものの中に、「お墓」とか、「はっきりとした名前のついていない痛み」がありました)

ここに理事を務める、一般社団法人De-Siloが加わります。De-Siloは、「人文・社会科学分野の研究者を伴走支援し、社会との多様な接点をつくるアカデミックインキュベーター」を掲げる団体。ぜひ皆さんDe-Siloには注目して欲しいですし、応援もお願いしたいです。

苦しさでなく、面白さで繋がるコミュニティを作りたい

在野で4年間活動し、人文を少し外から眺めたことで色々な気づきがありました。その一つに、人文はしばしば、「苦しさ」を繋がりの媒介に使ってしまうということがあります。例えば、全然休みがない、こんなひどいことが起こっている、やりたくもない仕事がどんどん降ってくる、といったことが繋がりの媒介になってしまう。実際にひどいことも起こるので、仕方がないとは思います。ですが、常日頃からこういう状態が起こると、あまり良い結果が生まれません。

「あいつだけ評価されている」とか、「お前は苦労が足りない」とか、「あいつだけ楽をして許せない」いった怨嗟がコミュニティ内に沈澱しやすくなるのです。一部の大学教員のSNSが、所属大学への不平不満とか、特定の誰かへの攻撃とかで埋め尽くされてしまう背景には、そういう環境があるからではないかと思っています。

嫌なら外に出られると思えば、こうはならないのでしょう。でも、外はないことになっているので、「苦しくても頑張るしかない」という発想にどうしてもなってしまう。実はこれが先日のブログに書いた「人文とお金の話」にも通じます。「低報酬でも頑張ろう」とか、「お金が欲しいんですか?仕事を与えてやっているのに」とかいった発想がどうしても出てきやすい。

他方で、こういうことができるかも、これをやってみよう、という形にコミュニティが動くと面白くなります。世界に広がりを感じられるからです。少なくともこの4年間の私は、もちろん大変なことも多かったですが、そういう体験をしてきました。人は苦しさよりも、面白いでつながった方がいい。シンプルですが、意外と忘れられがちな、大切なことだと思います。

人文を専門にしている研究者のテーマは、どれもとても面白く、わくわくできるものだと確信します。ただ環境とか、そこで生まれる考え方が、面白さではなく、苦しさを繋がりの媒介にしてしまう。

そもそも私が組織が得意であったら、契約が切れて失業者になることはなかったと思うので、新しい組織でちゃんと機能できるかは未知数なのですが、謙虚さを持ちつつも、これまでの経験の価値を、私自身が過小評価しないよう日々を過ごしていきたいです。

いずれにしても、大学の常勤職につくことで、これまでにはない安定をいただけることになりました。在野の活動を常勤を得るための「つなぎ」にするつもりは毛頭なかったので、面白さで繋がる世界を広げて行くために、この安定を土台として使わせてもらいたいと思っています。

失業時に「おめでとう」と言った唯一の人

ところで、お世話になった方々に東工大着任のお話をすると、口を揃えて「おめでとうございます!」と言っていただけます。しかし、在野でやっていこうと決めた時に「おめでとうございます!」と迷わず言ってくれた方が一人だけいました。

それがFILTRを一緒に作った二宮明仁さんです。アカデミアの発想では、絶対にこの言葉は出ない。自分の当たり前を揺らす人との出会いと、そこからの始まりが、世界を拓いていくことを深く感じ続けた4年間でした。二宮さん、本当にありがとう。そしてこれからもよろしく。

さらに振り返ると、二宮さんとの出会いのご縁をくださったのは、一般向けのある講座にいらしていた作家さん。それをきっかけに、その方が開く勉強会にお誘いいただき、私は二宮さんと出会います。その方は、色々なカルチャー講座に参加されているのですが、私が印象に残った理由は「質問から逃げなかったから」だそうです。

周りから何を言われようとも、一つのことをずっと続けていると、いいことがあるのかもしれません。いや、ないかもしれないんだけど、続けていないと起こらないことは確かにあるんだと思います。

最後に、私の講座に来てくださった受講生の皆さん。本当にありがとうございました。皆さんのおかげで今があり、皆さんがかけてくれた言葉のおかげで、その先が見えています。

ありきたりですが、大切なのは何になったかではなく、何をするか、ですよね。

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