男だから仕事の依頼が来ないということ

「女だから仕事の依頼が来ること」に関するブログを過去に2つ書いた。2021年11月と2023年の10月。朝日新聞の長期連載が佳境に入ったこともあり、ブログ更新自体が滞ってしまったが、今日はその3回目。

「女だから仕事の依頼が来る」ことの裏となりうる、「男だから仕事の依頼が来ない」について書いてみたい。「女だから仕事の依頼が来る」経験をした私は、「男だから仕事の依頼が来ない」をどう考え、どう振る舞うべきなんだろう。

もくじ

データと歴史で捉える、「男だから仕事が来ない」ということ

日本はいまだ管理職や政治家の数など、多くの場面で男性が絶対多数を占める。男性政治家が公の場で、女性の容姿をからかいのネタにし、女性活躍に関するG7サミットの会議に唯一男性を送り込むといった、なんのジョークかと思うようなことまでしてしまう。

その現実を踏まえると、女性の数を増やしていこうとか、女性蔑視に声を上げようという試みはまだまだなされていくべきだろう。「男だから仕事の依頼が来ない」という発言を、男女平等がかなりの程度達成されている北欧のような社会で言うことと、日本のような国で言うことの意味も異なる。

そもそも、「女だから仕事が来ない」という状況が長いこと社会のデフォルトだったわけで、それを変えようとする動きとしての「女だから仕事が来る」はおかしなことではない。

それを踏まえると、その結果としての「男だから仕事が来ない」は誤った解釈ー

になるのだろうか?

いやいや、そんなはずはない。世の中はもっと複雑だ。

一人称と今で捉える、「男だから仕事が来ない」ということ

「男だから仕事が来ない」と考える男性がいたとしよう。

その人に向かいー

いやいや社会の状況はもっと複雑で、あなたに仕事の依頼が来ないのは、あなたが男だからではないですよ。

とか

データを見てください。この社会では男性がずっと下駄をはかされてきていて、今もそれは変わっていないのです。まずその現実を見据えましょう。あなたと同じ思いを女性は長きにわたってしてきたのですよ。

とか言っていいとは、とても思えない。

データと歴史がどうであろうと、それはその人の感じる、その人の理解であるからだ。

加えて、最終候補に男女1人ずつ残り、最後の決め手が性別になって、女性が選ばれることは、今の社会では十分起こりうる。性別ゆえに選ばれなかった男性は確実に存在するのだ。

俯瞰的に見れば、これまでの不均衡を是正するための措置といえるから、それが間違っているわけではない。でも、その是正の過程で選ばれなかった男性にとってはたまったものではないだろう。

これは「男だから仕事が来ない」に限らず、「白人だから仕事が来ない」などさまざまな場面に応用できる。

俯瞰的にみれば意義ある措置が、一人称の目線で同じように意義あるものになるとは限らない。「たくさん」(データが示す世界)と「ひとり」はいつも地続きとは限らない。

これは医療をめぐるフィールドで調査をしていると、常に感じることでもある。

「女だから仕事が来た」を受け入れる

重要なのは、鏡像関係を作らないことだと思う。

蓋を開けたら、自分が批判を向けた社会や人物と同じことをやっている。そういう状況に陥らないよう細心の注意を払うこと。

つまりこれは、「女だから仕事が回ってきた」という認識、もうすこし広く捉えると「実力ではなく、自分の属性ゆえに仕事の依頼が来た」という認識を頭の片隅に置いておくことである。「私が選ばれたのは女だからではなく、100%実力」なんていう思考に陥ると、女性が散々馬鹿にされていた時代を繰り返す。

だって、「女だから仕事が来ない」時代には、「これは差別ではない。女は感情的で合理的な判断が男のようにできなのだ」とか、「女は嫉妬深く、男のように協力し合えない」とかいったことを公然と発言する人がそこらじゅうにいて、それが女性蔑視の源泉になっていたわけだから。

ちなみに私はこれら発言を、親戚男性と小中学校の教員から聞いた

でも、「あなたは女だから仕事が来たのであって、実力ではないですよ」なんてそぶりを見せたり、目の前で実際に言ってくる人がいたのなら、その人には「さようなら」を言うべきだろう。「おっしゃる通り。私に実力がありません」なんて卑屈になる必要もない。

関係性を作るという点において、こういう振る舞いはまずもって間違っているし、そもそも私でない誰かに、私の人生の在り方の原因を断言できるはずはない。(ただ属性に基づく可能性は言えるかもね)

努力の実感があればあるほど、選ばれた事実は努力の結果だと思いたくなる。でもその誘惑に流されず、自分の属性が有利に働いたのだろうと考えておくことは、遠回りなようでインクルーシブな社会につながるのではないだろうか。

社会の倫理観は目まぐるしスピードで変わることがある。

「女だから仕事がこない」ことに、疑問を抱くことすら許されない社会で半世紀近く過ごしてきたら、「それは問題」という社会がやってきた。

とても息がしやすくなったけれど、この価値はまたひっくり返り、「女だから仕事が来ない」社会が再びやってくるかもしれない。

そういう揺り戻しを起こさないためにも、生まれがもたらす「たまたま」の幸運を忘れないようにしておきたい。

3/19 追記 山本ぽてとさん、荒木優太さんが返信をくださいました。

山本ポテトさんは、「たくさん」と「ひとり」が常に地続きではないというところに着目くださり、荒木さんは、自分は男だから仕事が来ないと思ったことはないといった経験を共有くださいました。

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