「女」だから仕事の依頼が来るということ

今年の春、友人の水野梓さんがWithnewsの副編集長に任命された時のことを記事にしていた。

「女性だから任命した」と伝えるモヤモヤ withnewsスタッフブログ

「ジェンダーバランスを考えても、編集長と副編集長の計3人が全員男性というのはよくないよね」と言われた時の違和感がテーマである。

水野さんはモヤモヤと書いているが、私がこれを言われたらモヤモヤどころか「嫌だ」と思う。

しかしこの問題は色々と難しい。「女性が必要だよね〜」と言う人を責め立てればいいという話でもなく、とはいえ「いやそう言われるとちょっと…」と感じる側を「気にしすぎ」と、なだめればいいというわけでもない。

このことについて考えてみるため、まずは身近な私の体験から考えてみたい。

もくじ

「女性がいない、って怒られちゃったんですよ」と高笑いしたプロデューサー

以前こんなことがあった。某メディアからかなりギリギリに出演依頼があり、たまたま時間が空いていたのでお引き受けした時のことである。

控え室に着くなり、そのメディアのプロデューサーは、私に依頼を出した理由を何故か丁寧に話してくれた。

リベラルな話題を扱っているにも関わらず、出演人が男性に偏っていると以前出演した女性に指摘されたということ。言われてみれば実際にそうであったため、私に声をかけたということ。彼はその説明の間中、朗らかに、時に大声で笑い、女性が用意できたことに満足そうだった。(と私には思えた)

こう書くと、最近もはや人権を奪われている雰囲気すらある「おじさん」が発言主と思う人が多いかもしれない。でもそれを言った人は「お兄さん」であった。

収録が始まると、投げられた質問は私が研究していることとはほど遠い内容だった。私は確かにそこで取り上げられたテーマについての発言はしていた。しかしそこで話されている内容に関しては全くの素人だった。街角インタビューの方がよっぽどいいんじゃないか、というほどかけ離れたことを聞かれた。

つまり、そのメディアはそのくらい「女」が欲しかったのである。その収録では事前に他の男性ゲストが呼ばれていて、彼はその内容についての専門家だった。でも彼は「女」ではない。だからとにかく「女」がそこに座っている、という状況を作り出したかったのだ。私は出演中、そういう選択をリベラルで知られるメディアがカジュアルにやることに驚いていた。

私はあの時中座すべきだったのだ。実際にそれも頭をよぎったが、ここで中座したら「「だから女は感情的で….」、「せっかく呼んでやったのに」みたいになるんだろうな…」と思ってそれができなかった。「面白そうと思って引き受けたし」といううしろめたさもあった。

収録が終わった後、そのメディアのページを見たら、その男性出演者と私の写真がしっかり掲載されていた。これが世にいう「ジェンダーバランス」である。

嫌だけど、しかし…

その一件以来、私は仕事の依頼が来ると「女だから依頼をくださったんですか」とたまに聞いてみるようになった。が、途中からやめた。

その理由は「聞いたって教えてくれないから」であるが、他にも2つある。

理由その1。

「女がいないって怒られちゃったんですよ〜」と言っちゃう人と、「女が欲しい」と思っているけどそれは決して口に出さず、「磯野さんのおやりになっていることに感銘を受けて」と伝える人、どちらがより厄介なのか。

後者の方がより厄介じゃないだろうか。言ってくれた彼の方がまだ無邪気でありがたいというか、こちらも対処のしようがある

理由その2。

こちらの方がより本質的で、「私から「女」という記号を外し、その記号でなく「私」のやっていることを見て欲しい」などということはそもそも可能なのか、という問いが芽生えたからだ。

結果、私は外せない、という結論に達した。

性別でなく、私のやっていることを見て欲しい、は多分できない

私は自分についた女という記号に応じ特定の振る舞いを求められたり、「女」「男」という記号に準拠して人間の優劣がつけられたりする理不尽な経験を若い頃に散々してきた。また「女」であることに安住できるタイプでもないので、ジェンダーについては言いたいことは山ほどある。

だが「磯野-女性=磯野がやってきたこと」という等式はおそらく作れない。私が書いたり、発言してきたことは、なんらかの形で私が「女」と分類されてきたことが影響しているだろう。

だから磯野から「女」を引くことが仮にできたとしたら、「磯野がやってきたこと」の内容も変わってしまうはずだ。もっといえば、ありとあらゆる属性を廃して、その後に残る「私」なんているはずがない。

そう考えると「女だから依頼をする」というのを、「いやいや、私を見てください」と足蹴にすることもできないなあ、と思うのである。

もちろん冒頭の場合、件のメディアのプロデューサーは「女」という記号が存在する絵が欲しかっただけなので、この私の考えとはずいぶん位相は異なっているけれど。

「宛名Aさん」の仕事依頼が磯野にくる

私はコロナ関係で発言の機会を色々頂いているわけだけど、その結構な数が私が「女」であることに起因しているのではないかと思っている。

「ジェンダーバランス取りたい」→「人文系」「女」→「磯野」?、みたいな選択である。

例えば、昨年私のところに「Aさんへの仕事依頼のメールをそのままコピペした仕事依頼」が4回届いた。何故分かったかというとメールに「Aさん」の名前が残っていたからである。Aさんも「女」、磯野も「女」。だから「Aさんの次は磯野」みたいな流れがあるんじゃないかと思ったほどだ。

コンテンツを作る側は急いで素材が欲しい。作る側にも段取りとか、順番とか、よくわからないけどいろんな配慮があって、そのなかで磯野にご指名がある時がある、ということなのだろう。

私にそういった配慮はコントロールできないし、別にそういう素材を探している人が、悪い人というわけでもない。そう考えていたら「女性だから選ばれたのかどうか?」みたいな問い自体は(社会を考える上では大切な問いだけれど)、たまに頭をよぎることはあるけれど、どうでも良くなった。

私にできることといえば、嫌だったら去ること、そうでなかったら誠実に関わること、去ったとしても声をかけてくれるような人が残り続けるような仕事をしてゆくことだけだし、そっちの方が今の私にとっては大切だ。

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