7月22日は、『急に具合が悪くなる』を一緒に書いた宮野真生子さんの命日。
これまでの命日は、ひとりでこの本を前日から振り返っていた。でも、あれから4年経ち、どなたかと本書を語ってみたくなったため、読書会を開催することにした。
とはいえ、そう決めたのは直前。誰か来るかしら…と思いながらの募集であったが、思いのほかたくさんの人が集まってくださった。
死別の悲しみを今も抱えている方、サバイバーに課される物語に苦しむ方、宮野さんと同じ病気に罹った方、予定調和で合理的な選択をしがちな自分に違和感を抱える方、本書を手に取ったとき、心身の調子がとても悪かった方、グリーフケアや緩和医療に関わる方。
世代も、仕事も全くバラバラ。繋がりは本書だけ、という集まりだったけど、初対面とは思えないくらい話に花が咲いた。懐かしい感じがした、とおっしゃった方もいたくらい。
当たり前だけど、人生は本当に色々あって、みんなその時間を生きている。でも、出版から4年経った今もこの本のことを大切に思ってくれていることは同じ。それぞれの人生に本の言葉が響いている。
著者がこういうことを言うと冷ややかな視線を浴びそうだけど、「もしかするとこの本は、100年後も誰かが読んでくれるかもしれない」、読書会の風景を見ながら、空気を感じながら、そう思った。
いらしてくださった方たちから、先へ先へと届いていく、静かで深い熱を感じることができたから。
100年読まれ続けるためには、誰かが自分の子どもに託し、その子が自分の子どもに託し、さらにその子が手にして読むくらいの時間を必要とする。
時節を掴んだとか、著名人が何人も推薦したとか、版元が大きなキャンペーンを打ったとか、そういった出版直後の力は100年先には届かない。著者も当然死んでいる。
頼れるのは、本の中にある言葉の力だけ。
でも、もしかすると宮野さんの言葉は、100年先を生きる人の心にまで本当に届くんじゃないか。
そんなことを感じたひと時だった。
いらしてくださった皆さま、本当にありがとうございます。
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