女だから仕事がくる。
一体これとどう付き合っていけばいいのか。
荒木優太さんの悩み
先日、在野研究者の荒木優太さんが集英社新書から出された『サークル有害論』をめぐって対談をさせていただいた。なんとお声がけの理由の一つは、私が以前書いたブログの一つ『「女」だから仕事の依頼が来るということ』であるとのこと。
タイトルから分かるように、「女」であることが理由になって仕事が来ることへのモヤモヤを綴ったポストだ。荒木さんは次のようにおっしゃっている。
荒木 私にとってそれが磯野さんの代表作なのですが(苦笑)、その内容をここで簡単に説明しますと、ある日、某メディア・プロデューサーから磯野さんに依頼がきたんですね。その内容というのが、出演者が男性に偏っているので女性の出演者を探している、というわけで磯野さんにお声がけした云々、という趣旨だったわけです。
それに対して磯野さんは最初、女性だから依頼しましたというような実に失礼な態度に違和感を抱くも、他方で女であることと仕事をするということの二つを切り離せるかと問い直し、そして最終的には切り離せないので、ぼちぼち付き合っていくしかないだろうという結論に至るのです。
「女性だから依頼しました」はなぜ嫌なのか荒木優太×磯野真穂 『サークル有害論』刊行記念対談vol.3
「これが代表作なのは相当に問題ではないか」という点はさておいて(苦笑)、荒木さんにとっても悩ましい問題らしい。過去の著作でも、女性が少ないことを批判されたことがあったとか。考えすぎて、むしろ女性への依頼を躊躇う、みたいなことになってしまうこともあるそうだ。実際私も深く頷きながらお話を聞いていた。
工藤郁子X山本ぽてと:働き者ラジオ「女性だから頼みました問題はなぜ嫌なのか」
加えてこれは荒木さんだけでなく、他の方達にも悩ましい問題であるみたい。
なんと工藤郁子さんと山本ぽてとさんがパーソナリティを務める「働き者ラジオ」の中で、私たちの対談と先のブログをとっかかりに「女性だから頼みました問題はなぜ嫌なのか」と銘打ってお話くださっている。
ちなみに山本ぽてとさんは、「なぜふつうに食べられないのか」を出版したときにインタビューしてくださったり、「ダイエット幻想」を書いたときには書評を寄せてもらったりと、ダイエット&食べ物でやんわり繋がっている方。そんな山本さんから以前、「「8いいね」くらいを目指しています」というのを聞いたことがあり、SNS上でお見かけするたびに「8いいね」を超えるんじゃないかとハラハラしていた。しかし先日、とうとうこんな大バズをかましており、メンタルが大ぶれになっていないか心配している。
「8いいね」はさておき、ラジオの中でお二人もこの問題が実に悩ましいこと、ぽてとさんに至っては私のブログを読んで「嫌だって言っていいんだ」といったことを感じたと。
また「女だから選んだ」のに、それを表立っては明かされないまま「女という役割期待を担わされる」ことへの問題に言及していたり、逆に選ぶ側になった時の悩みを語っているのは工藤さん。
どうやらこの問題は、ラジオのテーマになるほど悩ましい問題としてあちこちで浮上しているようだ。
若手は黄緑、女はピンクで囲まれていたスライド
かくいう私もあのブログを書いて以降、悩みが解決されたわけではない。というのも、同じことが続いているからだ。例えばこんなこと。
- 「女性でいい人いないですか?、って聞いたら、磯野さん紹介されたんですよ〜」と満面の笑みで話してくる同世代の男性。いやはや。「女でよかったです〜!」とでも返せばいいのか?
- 複数の人が対談相手となる、本のお仕事。出来上がった本を見たら女性は私一人だけ。「あー、女枠」だったのかと気づく。
- あるグループをコーディネートしている方が、打ち合わせ時にさらっと見せたスライド。若手が黄緑、女性がピンクの枠で囲まれている。つまりこれって、以前は「女子供」だから外していたけど、今は「女子供」を入れないといけなくなったからそうしてるってことだよね。やられていることは何も変わっていない。その上、黄緑とピンクは、ベタすぎるんじゃないか!
私は以前のブログでこんなことも書いた。
「磯野-女性=磯野がやってきたこと」という等式はおそらく作れない。私が書いたり、発言してきたことは、なんらかの形で私が「女」と分類されてきたことが影響しているだろう。
だから磯野から「女」を引くことが仮にできたとしたら、「磯野がやってきたこと」の内容も変わってしまうはずだ。もっといえば、ありとあらゆる属性を廃して、その後に残る「私」なんているはずがない。
そう考えると「女だから依頼をする」というのを、「いやいや、私を見てください」と足蹴にすることもできないなあ、と思うのである。
「女」だから仕事の依頼が来るということ
私は全ての属性を取り払った「ありのままの私」というのに全く合点がいかないし、このキラキラフレーズが作り出す害が相当あると思っているので、この考えは今も全く変わっていない。でもやはりモヤモヤは続く、どこまでも。
こちら色々思うことあり、いつか(3)も書く予定です。