先日のブログが、想定をはるかに超えた広がりをし、View数が4万近くになりました。牧歌的に運営されているブログなので大事件です。
これだけ広がると辛辣なメッセージが増えるものですが、今回はそれはなく、寄せられた意見はほとんどが共感でした。私と同じ思いを抱えていた人が、人文社会科学を超えた様々な分野でたくさんいることもわかり、それも驚きました。でもこれだけ拡散されたということは、思っていても言えなかった人が多い、ということだと思います。言えない理由は様々だと思いますが、やはり謝金について問題提起をすると、それによって被り得る不利益が多々あるからでしょう。
なので、リポストなどで賛意を表明くださった方、深くお礼を申し上げます。賛意を示して下さった方に、同世代が複数いたことが心強かったです。ある程度キャリアを積んだ我々の世代が、声を上げないと変わらないと思うので。
問題提起ができた背景
とはいえ、かくいう私も最悪の事態は考えました。先のブログは大学のみならず、出版社、書店も含めた業界全体への問題提起になっていたからです。この三者に関わる批判を公開するのは結構怖く、最悪の事態についての「脳内妄想シュミレーション」が勝手に生成されました。こんな感じで…。
表面上は素知らぬ顔をしていたり、「本当に貴重なご意見です」とか言ってきたりする人が、「ほんとあの人何もわかってないですよね..」みたいな認識を裏で共有し、気づいたら書店から本が消え、何の依頼も来なくなり、評価はダダ下がりになって、存在消滅…。キツすぎる。
「こんなことは起こらない」という、顔を知っている皆さんへの信頼はもちろんありました。ただ、喜ばれることを書いていないのは明白なので、やはり考えざるを得ませんでした。
ですが私は現在、同じ思いを抱える皆さんよりも問題提起をしやすい状況にあり、それが先のブログの公表につながった次第です。まず一つ目は、先日のブログに書いたように既存のシステムに100%依存しなくとも、仕事をしていく道筋を見出せていること。二つ目は、私が4月より任期なしの職に就くことが決まっていることです。
「想定する最悪の事態が起こったとしても、生活基盤がなくなることはない」という安心感があったからこそできました。勇気があるといってくださった方もいましたが、決してそういうわけではありません。期待を裏切ってしまった方がいたら、お詫びいたします。ごめんなさい。
とはいえ、提起した問題を放置するつもりはありません。
私と林利香さんで2016年に立ち上げた「からだのシューレ」、2020年の失職時に二宮明仁さんと立ち上げた「FILTR」、そして現在理事として関わっている「一般社団法人De-Silo」は、全て既存のシステムの外側に新たな場を作っていこうとする試みです。私はこれら足場があったことで、大学の任期が切れた後も経済的に困窮せず、ここまでくることができました。
既存のシステムの中にも、良心的な報酬設定をしてくださる団体・法人はいくつもあり、その皆様にも大変助けていただきました。
常勤になれない人文社会学系の研究者が、幾つもの低報酬の仕事に囲まれて苦しくなってしまうことは根深い問題だと思っています。
なので立場が変わっても、この問題には取り組み続けたいと思っていますし、これまでの経験があるからできること、立場が変わったからこその広がりを、すでにある場を足がかりに作っていきたい。しかしこれは、当事者が具体的に動かないどうにもならない問題です。その観点をもとに、先日のブログに寄せられた意見と、自分の認識が違ったところを記しておきます。
人文社会科学は売れない?
「人文社会科学は売れない」といったことを、応答としてあげている方が複数いらっしゃいました。これは今回に限らず、長年にわたり聞いてきた言葉です。久しぶりにそれらを見る中で、フィールドワーク中に知り合った、旅館の大将の言葉が蘇りました。
この島で水揚げされたノドグロはずっと猫のご飯になっていたが、ノドグロが売れる魚とわかったら、猫はもらえなくなった。
「売れない」と言っている皆さん。少しご自身の専門を過小評価しすぎじゃないでしょうか?「売れないのに、仕事をくださってありがとうございます!(涙)」とか思ってないですか。
ノドグロまではいかなくとも、サバとか、アジとか、サンマとか、みんなに愛される魚くらいの価値は、皆さんのご専門にはあるんじゃないですか?
もちろん、学会の人しかわからない言葉で発信をしていたら、需要がないのは当然でしょう。それをやりたいなら、既存のシステムの中で頑張るしかない。でも学問ってそういうのばかりじゃありませんよね。
少なくとも私は、自分の専門である文化人類学が「売れない」なんて思っていません。だって、文化人類学めちゃくちゃ面白いから。
人間の生き方は多様で、答えは一つじゃない。そのことを具体例とともに示しながら、他方で、人間はどういう生き物かも問おうとする。個別と普遍の両方に手を伸ばすのが、文化人類学です。
どう考えても面白そうでしょ。
この学問が売れないとしたら、それは提示の仕方を間違えているからで、文化人類学そのものが(こういう言い方は好みませんが、あえて使うと)「売れないコンテンツ」であるはずがない。私はそう思います。
学問の価値を求めてお金と向き合う
でもそれは今だから言えることであって、それに気づくきっかけを与えてくれたのは、FILTRの二宮明仁さんでした。
清貧にも貪欲にもなりすぎず、でも生活を支えられる講座を人類学で作ることは可能だということを、そのためにどうしたらいいかということを、二宮さんは人文社会科学の状況を踏まえつつ、一緒に考えてくれました。
そして、私の講座を受講してくれた、約600人の皆さんが、この学問の確かな価値を確認させてくれました。
生きていくためにはお金が必要だし、自分で生きていこうと思うなら自分の得意分野で、生活を支えるための「商品」を作らないといけない。あまりにも当たり前のことです。
ところが人文社会科学界隈には、こういう発想自体を「汚い」「卑しい」とする雰囲気があって、それが低報酬の仕事が乱立する状況を支えているんじゃないかと思います。
人社系の仕事って報酬が提示されないことってよくありますし、大学教員の年収なんて、着任直前に初めてわかるなんてこともざら。お金のことを心配している人が大勢いるのに、お金のことを話すと嫌がられる世界なのです。
売れないんじゃなくて、配分が変
話を元に戻しますが、私は人文社会科学は売れないから低報酬になるんじゃなくて、配分が変だから低報酬になるんじゃないかと思っています。つまり授業をしたり、本を書いたり、イベントに登壇したりする人への売上配分が10%にも満たないことが常態化していて、それが常勤になれない研究者の困窮を次々と生み出している、ということです。
例えば、1回3000円、受講生30人の授業を、週1回で月4回担当したとしましょう。すると、この授業の一ヶ月の売り上げは:
30(人)✖️3000(円)✖️4(回)🟰36万円
それなりの額ですよね。この半分、いや3分の1でもらえれば生活費として心強い。ところが、講師がもらえるのはこのうち3万円。つまり売上の約8%だったらどう思われますか?
時間をかけて準備をし、大変評判の良い授業をしても、売上の92%は持っていかれてしまう。やりがいだけで続けるには、ちょっとキツすぎないでしょうか?
でも、これが非常勤をはじめとする、人文社会学界隈のさまざまな報酬の実態なのです。
10人に満たないクラスもあるとか、人数で決まっているわけじゃないとか、いろんなご意見があると思いますが、報酬の低さを肌感覚で知ってもらうための目安として出しています。これより参加者が多いクラスだってザラだけど、報酬は変わりません。
集まった人数に応じて報酬を傾斜配分してくださる団体や法人もありますが、残念ながらこちらは少数
駆け出しで、なんの教歴も執筆歴もなく、「とにかく売り出したい!」とかなら、安くても多少は仕方ないでしょう。私もそういう人には、プロになるためまず頑張れ、といいたい。でもこれがずっと続くことが、こういう仕事が乱立していることが問題なのです。
何十年も前と比べたら売り上げは落ちているんだと思います。でも人文社会科学が本当に売れないのなら、人社系の版元が軒並み倒産したり、編集者がどんどん非正規になったり、世のカルチャースクールから人文講座が消えたり、そんなことが起こっているんじゃないでしょうか?
でもそこまでのことは起こっていない。
「人文売れない」で片付けられる言葉の裏には、講師、著者、登壇者などの「外注先」にかかる“経費”を抑えることで、利益を確保する業界構造があるんだと思います。発注側は、「広告費、会場設備費、職員の給与など、たくさんの経費が必要なんだからこれで精一杯」というでしょう。それはわかります。「外注先」への経費以外は純利益だなんて思ってません。
でも、格差の問題などを指摘する人文社会科学に関わる人々が、知性をここまで安く買い叩いてしまうビジネスモデルに疑問を持たないのは、やはり問題ではないでしょうか。抜本的にすぐ変えて欲しいとか、あなたたちの給与を減らして謝礼に回せとか(それこそただの清貧思想)、そんなことを要求するつもりは毛頭ありません。
ただ、理想を語る領域で働いているのなら、「これは問題である」という認識を、1人でも多くの発注者に持って欲しいのです。その認識を持ってくれさえすれば、とりあえず、下記のようなことは絶対に起こらないと思うから。
実際にあった、「ひどい」を超えた依頼。でも、ないとは言えない依頼
120人近くが集まったオンラインの有料トークイベント。参加費は二千円弱くらいだったような。事前の打ち合わせに出席し、対談のために1冊の分厚い本を読んで質問を準備し、告知にももちろん協力。先方から報酬の話が一切出ないため、仕方なくこちらからイベント終了後に話を出すと、大変びっくりした反応をされ、その後、その本の版元より1万円が支払われる。
「1万円払っているだけでも立派」みたいな認識が業界にはあるのですが、それは、こういう依頼が実際にあるからです。ボランティアしてください、とすら言わない。基準がタダなら、1万円は「すごい」になりますよね。
人文社会科学に関わる人々は、良い社会を作りたいという心意気を持った方々が多いと思います。細やかな心遣いをしてくださる方も多いです。
でも私がここで述べたことは、業界の慣例として深く深く根を下ろしており、かつ、大学・出版社・書店の3つが絡む構造に対して声を上げることは、かなりのリスクが伴うため、問題が「問題」として認識されるチャンスが乏しいのだろうと思います。
でも、だから、困窮する人が出る。
教歴をつけてやっている。本を作ってやっている。本を置いてやっている。こっちだって大変なのに、あなたはまだ不服なのか。
こういう姿勢を感じることがあります。確かにそうです。受け手は依頼をくださった人々に感謝すべきです。1人じゃ何もできないのだから。お金が全てじゃないんだから。
でも、その結論に飛ぶ前に、ビジネスパートナーとして誠意ある報酬を用意しているのかを考えてほしいのです。このような報酬形態で、相手は生きていけるのかと。
場所作りが最大の「交渉」
今回は、問題提起として必要だと思ったので文章を作って公開しました。しかし、非常勤先に待遇改善を求め、低額報酬を提示されるたびに依頼先と交渉をし、その度に結果をブログに書いていたら、私はどうなっていたか。
注目は集めたかもしれませんが、私はワーキングプアの道をひた走り、発信は怨恨の魔窟のようになっていたはず。考えるだけでも恐ろしい….
そうならずに済んだのは、既存のシステムの外側に、仕事の場を作ることができたからです。先のような配分の世界に、100%依存することをやめられたからです。だから、やりたい仕事だけを受けて、それ以外の仕事は断ることができるようになりました。もちろん苦労もありますが、これはとても快適です。皆さんにも勧めたい。
とはいえ、人文社会科学回りの報酬の低さは社会問題だと思うので、指摘は続けたいと思っています。個別の交渉はこれまでも試みてきました。しかし、これに即効性はありません。先に述べたように、この構造は業界全体に染み渡っているため、問題と認識しない人がたくさんいます。なので、仮に担当者が問題と思って動いてくれても、今度はその担当者が組織から疎まれ、苦しい立場に追いやられる可能性だってあります。
もちろん「お金が欲しいんですか?」といったことを、担当者から仄めかされて嫌な思いをすることもあります。あいつは金にうるさいやつだ、みたいな陰口を叩かれるリスクも引き受けないといけません。
こういう思いをしたときは、「女性のお茶汲みに反対の声を上げていた人たちって、こういう経験だらけだったんだろう」と思って頑張ります。真剣に受け止めてくださる、少数の方たちのお陰で踏ん張れます。でも、こればかりやっていると心が折れます。
なので、待遇が嫌であれば転職先を探すのが普通であるように、人文界隈にも「転職先」があった方がいいと思っています。経験や実績に応じて配分がきちんと増える「転職先」が。仕事を受ける人がいなくなれば、発注先も報酬面の改善を考えるでしょう。「場所作り」が最大の「交渉」になると考える理由です。
でも研究者自身が自分の仕事に始めから「売れない」という価値をつけ、「お金じゃないんで」と言いながら「市場」に入っていったら、買い叩かれて終わりますよね。
自分の専門なんて誰の興味も引かない、面白くない、と自分自身で研究分野を卑下してしまう人も割にいますが、そんなことはないはず。だから、関心がある人はぜひ場づくりに、構造の外に出ることに挑戦して欲しいです。「そんなことは無理!」と思う方は、「売れない領域だから…」の前提を、研究者の視点を使ってまず疑ってみてはいかがでしょう?
「お金じゃない」は、お金にきちんと向き合ったその先で、初めて価値を持つ言葉ではないかと思います。
(終わり)
賛意を表明くださった皆様
先回のブログに賛同くださった方達のうち、コミュニケーションをとったことのある方、本を拝読したことのある方のポストを選んで掲載させてもらいました。意見を共有くださり、本当にありがとうございます。(とはいえ、全部追えていないので、見逃した方がいたらごめんなさい。)
- SlowNewsさんのnoteから: 「あなたが提示したその報酬で、あなたは生活していくことができるのか」…在野研究者が語る『おカネ』の話
Slow Newsさんが作って下さった記事。Slow Newsさんからは研究のサポート資金をいただいており、この支援のおかげで、コロナ禍のフィールドワークができました。私が提示した問題は「フリーランスのジャーナリストやノンフィクション作家を巡る環境とそっくり」とのことです。