「最後に」が本当に「最後に」なる時

5年前の今日は『急に具合が悪くなる』(晶文社)を一緒に書いた宮野真生子さんが福岡大学の最後の教壇に立った日だった。私はそこには行けなかったけれど、その時の写真を一枚持っていて、東工大の研究室に飾っている。

「今日はこんなことを話すつもりなんだ」と事前にスライドは見せてもらっていて、写真に写っているのは一番最後のスライド。

「一番ここを伝えたい」と言っていたスライドの箇所にばかり注目していて、他にはあまり気を配っていなかったんだけど、そのスライドの一番上には「最後に」と記されていた。

よく考えるとその時の宮野のさんの立場はコメンテーターで、スライドに「最後に」などと書く必然性はない。というか、メインスピーカーであってもスライドの最後にわざわざ「最後に」なんて書かない。

宮野さんは本当に「最後」だと思ったから、「最後に」と書いたんだろう。あのスライドに書いてあった言葉は、本当に「最後に」学生に伝えたい言葉だったんだ。

そんなことを4年も経った今日ようやく気づく。

「急に具合が悪くなる」は私にとって不思議な本だ。あまりにも当たり前のことだけど、増刷のたびに私のプロフィールだけが更新され、一歳だけ上だった私の年齢は、42歳で止まった宮野さんの年齢とどんどんと離れていく。

5年前の今日から1ヶ月と3日後、宮野さんは命を閉じる。5年前の今日、まさかこんなに早くお別れが来てしまうとは思ってもいなかった。5年後の今日、自分の人生がこんなにも変わってしまうとも思ってもいなかった。

この時期になるとあの時のやりとりを鮮明に思い出す。私は、あそこで交わした言葉を裏切らない生き方をしているだろうか。宮野さんと交わした約束を今でも守ることができているだろうか。宮野さんと共に生きることができているだろうか。

他者の出会いも、自分の人生も予想通りにはなるとは限らない。でもだからこそ、帰る場所があるというのは尊いことだ。

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