FILTRオンライン人類学講座「他者と関わる」は第2クールも無事満員御礼となりました。
さて本日はこの講座を裏で支えてくれている二宮明仁さんについてです。
Twitterで独立します、とつぶやいた後、「ちゃんとやっていけるのか?(お金の意味で)」という質問を、いろんなニュアンスでアカデミアの方から聞かれる時があります。
結論から言うと、今年はとりあえず大丈夫になりました。
以前、「高学歴ワーキングプア」という本が出たときは、これはひとごとではないと思い、昨年は「本当にそうなるかも」と覚悟もしてました。しかし幸いそうもなっていません。去年とほぼ同じくらいの生活水準は保てていますし、自分が世界に提供できることは何かということをしっかり考える時間も持てています。ついでにいろいろな意味で精神的に恐ろしく楽になりました。
これからどうなるかは当然わかりませんし、来年は高学歴ワーキングプアかもしれませんが、とりあえず今は、もはやこれは何かのご褒美ではないかと思うくらい、楽しい日々を過ごさせてもらっています。
とはいえ、この状態は私一人で作り出せたわけではありません。今の生活は、オンライン講座「他者と関わる」をプロデュースし、そのプラットフォームであるFILTRを立ち上げた二宮明仁さんの支えなくては絶対に不可能でした。
アカデミアの人は「二宮明仁って誰よ?」って感じだと思うのですが、二宮さんは彼の専門領域の第一線で活躍してきた人です。どう言う領域かを私の言葉でいうと微妙に間違えそうなので、気になる人は検索してみてください。
二宮さんと私はある勉強会で知り合い、「からだのシューレ」では講師をしてもらうなど、しばしば交流もあったのですが、今年4月までは一緒に仕事をしたことなどはありませんでした。
そんな彼となぜ一緒にプロジェクトを進めることになったかと言うと、その勉強会の後にたまたま二人で話したことがきっかけでした。ふんわり再現するとー
い:私、実は今年度から大学出たんですよ。
に:おめでとうございます!
「い」こころの声 (そうくるか?!、って言うか、これは「おめでとう案件」なのか?)
い:で、かくかくしかじかさてさて、こんなことをしたいなあ、と思っていて…
に:面白い!やりましょう!僕手伝いますよ。
4月くらいの会話を相当大雑把に再現
と、こんな感じで、始まりました。
誤解を避けるために言っておくと、二宮さんはなんでも乗っかる軽い人間というわけでは全くなく、彼自身が人文学や、学校という媒体に関心があったこと、私の著書に関心を持ってくれていた背景はもちろんあります。
砂漠に立てた旗をどうやって見つけてもらえるか
大学という箱を出た私にとって一番の難関は、その箱なしに人を集められるか、ということでした。砂漠に旗を立てても誰もそこを通らなければ、意味がありません。
そこで強力なブレーンとなってくれたのが二宮さんです。オンラインメディアの世界で活躍してきた彼ならではの知識を使い、私が言葉を届けたい人たちにどうやったらきちんと出会うことができるかを、多くのリサーチをしながら考え、段取りと道筋を整えてくれました。HPとBlogを立ち上げてくれたのも彼です。
二宮さんと仕事をしていて感じるのは、面白いと感じる嗅覚、その嗅覚の先でアクションを起こす力、それがどんなアクションであるべきかを丁寧に分析する力の3つのバランスが高いレベルで整っていることです。
私は3番目の力が著しく低いことを自覚しているので(というか、ほぼ前者二つだけで乗り切ってきた気がする…)、そこを代わって引っ張ってくれたのは本当に助かりました。
今回の「他者と関わる」には本当に素敵な受講生の皆さんが集まってくださっており、毎週私もとても楽しいのですが(参加している二宮さんも楽しそう)、そこにくるための滑走路を作り、飛ばしてくれたのが彼です。
いつもたまたまに救われる
今回は、生活が立ち行かなくなるかもしれないという危機を、たまたま勉強会で出会った二宮さんに救ってもらったわけですが、私の人生を振り返るといつもたまたまに救われているなあと感じます。
私が弱っているときにたまたま出会った人たちは、いったいどこにそんな根拠があるんですかと聞きたくなるくらいの確信とともに空に向けて背中を押してくれます。
今の世の中、進学、就職、結婚、出産、加齢、死といった人生の様々な段階で、それぞれに応じた多様なリスクが示され、その対策も同時に示されます。
そういう情報を事前に集め、転ぶことなくスマートに人生を歩む人はかっこいいなあと思うけれど、どうにもこうにも私にはそういう能力がありません。
でもその代わり私には「たまたま」が与えられていたみたいで、それによって救われる人生でありがたいなあと思っています。