「古典」と言われるものには生き残ってきただけの理由がある/『コロナとバカ』ビートたけし

芸能人のエッセイが突然読みたくなり、ビートたけしさん『コロナとバカ』(小学館新書)をkindleで購入して読んだ。こういう時、kindleは助かる。

実はこの本、コロナのことはあまり書いてない。でも面白いことには変わりなく、その中にはこんな一節が。

「古典」と言われるものには生き残ってきただけの理由がある…そういう普遍的なものを勉強しとくと、きっともう一度世界が元通りに動き始めたとき、まるで違ってくると思うぜ

今、FILTRの講座で人類学の古典『汚穢と禁忌』を読み進めていることもあって、この言葉には深く頷いた。

『汚穢と禁忌』は全然読みやすい本ではない。

だが何度も読んでいると、やはりこれは古典の一冊なのだと感じざるを得ない。

なぜ人は、どれだけ科学技術が発展しても儀式を捨てられないのか。曖昧な状況に私たちが耐えられないのはどうしてか、人間はどうやって一緒に暮らすことが可能になっているのかなど、人間の普遍的な問題を未開と現代を架橋しながら見事に示す。

読んでいると、その洞察の奥深さに胸を打たれてしまうことが本当にあるのです。「そうか、人間が生きるってこういうことだよね」みたいに。

そう。たけしさんのいうように『汚穢と禁忌』には生き残ってきただけの理由があるのだ。

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