古典の読み方(1) メアリ・ダグラス『汚穢と禁忌』-呪術と奇跡ってなんだ?

今月17日より開講となるFILTR人類学講座「人類学の古典に親しむ」

本講座で扱うのは、人類学の理論書には必ず掲載されていながらも、さして注目度が高いわけでもないメアリ・ダグラス『汚穢と禁忌』

『汚穢と禁忌』はその名の通り、「汚さ」にまつわる本。

今の私たちは「汚さ」をウイルスや細菌と結びつけてしまいがち。だけど、この本はそれを否定し、「汚さ」と社会秩序を結びつける。

この点がこの本の最大の魅力であることは言うまでもないし、ここまでは文化人類学の導入クラスなどで耳したことがある人もいると思う。

ただこの本をずっと読んできた私からすると、『汚穢と禁忌』を「汚さ」の話だけで終わらせるのはもったいない。

例えば、「汚さ」の議論からやや遠ざかる第4章「呪術と奇跡」はその最たる箇所。

「おまじないなんて、科学的思考ができない人が行う無意味な行為」といった冷ややかな目線や嘲笑を、ダグラスは華麗に跳ね飛ばしていく。この章のポイントは、呪術や儀式を行う人は、それをやれば絶対に願いが叶うとか、奇跡が起きるとかは必ずしも思っていないということだ。じゃあ、なぜやるのか?

本講座では、第4章をもとに「緊急事態宣言」と「雨乞い」はよく似ているというお話をする予定。申し込まれた方は楽しみにしていてください。

もくじ

人類学者でよかったこと

ところで、人類学者でよかったなと思うことが1つある。それは呪術とか、奇跡とか、魂とか、霊とか、そういった「よくわからない何か」を真剣に語ってもおかしな顔で見られないこと。

目に見えること、数字にできること以外は価値がないとされがちな現代社会において、「よくわからない何か」は「このツボを買えば病気が治ります」といった逆ブレの極端な世界の中に現れてしまうことが多い。その結果、「よくわからないこと」は嘲笑や揶揄の対象にますますなっていく。

「よくわからない何か」の中にある大切なことは、「科学的であることが全て」と考えている人にも、「ツボを買えばいい」と勧める人にも絶対に掴めない。

人類学は少なくとも、「よくわからない何か」と真剣に対峙し続けてきた学問だ。『汚穢と禁忌』はその対峙の結果を伝えてくれる貴重な本の1冊だと思う。

ご紹介したFILTR講座「人類学の古典に親しむ – メアリ・ダグラスというエアポケット」 の第1クールは前半・後半とも完売となっております。お待ちの人数によっては、第2クール開講の可能性がございます。ご関心ある方は販売サイトの「再入荷お知らせ」よりメールアドレスのご登録をお願いいたします。

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