古典にはいろいろ読み方があると思うけど、『汚穢と禁忌』の場合、1章を乗り越えられるかがまず勝負となる。緒言や序論は「これは面白そう」と始まるんだけど、1章で「?????」となる人は相当いると思う。緒言や序論の話はほとんど出てこず、聖なるものと不浄が混同されるとか、呪術の解釈がどうとか、一体何のこっちゃという話。
1章は18世紀、19世紀の人類学の動向をそれなりに知っていないと理解が不可能で、かつ文章も難しく、カタカナ人名が大量に登場するため、そのまま積読コースになっても無理はない。ただダグラスは1章でこの本の土台をかなり緻密に作っており、この1章がある程度わかると理解の深みが増す。
比較的わかりやすい2章、有名な3章、磯野的に激推しの4章や5章を抜け、6章からとうとう本題に。リーダーなどで紹介されることも多い7章、一番短い8章を抜けると、一番長い9章がやってくる。
ここがまたわかりづらいのだ。たくさんの事例が掲載されていてその一つ一つは面白いのだが、あまりに私たちの世界とかけ離れた話が次々展開されるため、私たちの世界とどう接合し、どの視点を取りながら読んだら良いのかが、全くわからず迷子になる人は多いはず。不眠の時に開いたらいい入眠剤になると思う。
この9章を乗り越えるため私の講座では、日本のケガレ論の第一人者で、私の恩師・波平恵美子さん(の本)に登場いただくことにした。波平さんを挟むことでここは相当読み解きやすくなるはず。
そしてこれが終わるととうとう最終章の10章。読んでいてゾワッとする箇所がいくつかあるんだけど、「生きている」ってこういうことだよね、と感じさせてくれるのが10章だ。
一般的に研究書は感情を抑えて書くものなんだろうけど、その行間からそうでないものが溢れてくる時があり、その瞬間が大好きだ。11月から始まったダグラス講座も来週で最終回。皆さんと楽しくゴールテープを切りたい。