人間とは何か。仮面ライダーゼロワンから考える。

8月から配信しているポッドキャストRadio Noma。#005で仮面ライダーゼロワンから考える人間の悪意という極めてマニアックな話題−しかも収録のために第47話を完全文字起こし−を流したら、仮面ライダー好きの早大生が、人間とは何かの本質を問うような、ものすごい長文の感想を送ってくれました。面白いのでシェアします。

とはいえ、あまりにマニアックすぎてわからない可能性が大です。したがってその前に#005を聞くことをお勧めしますが、そもそも#005ですら脱落せずに聴き終える人が何人いるのか….

もくじ

感想「ポッドキャストを聞いて」

 私は仮面ライダーを平成20作品視聴しており、令和初の仮面ライダーゼロワンはかなり期待していました。しかし、結果として、視聴後ゼロワンを総評すると、「なんかもやっとする」という高評価とは言えないものでした。

 ゼミでAIやサイボーグを研究していたので、AIを題材に扱うというチャレンジングな内容をどう落としどころを付けるのかと考えながら見ていましたが、やはりAIというテーマを仮面ライダーに持ってくるのは早すぎたのかなと。

 様々なツッコミどころはあったのですが、今回のポッドキャストで磯野さんと神野さんが考えていたように、「悪意」をもったヒューマギアが敵になるという構図が気持ち悪かったのが大きなポイントだと考えています。

 ゼロワン劇中にて、敵として出てくる「滅亡迅雷.net」は、「アーク」と呼ばれるマザーAIの打ち上げに際して天津垓という人間が「アーク」へ人間の悪意をラーニングさせたことによって悪意に目覚め、人間を滅ぼすという結論に至った、というバックストーリーがありましたが、そも「悪意」がお二方も悩んでいたようにわれわれ人間も明確に定義づけられていないうえに、「悪意」とはなんぞやを劇中で詳細を描かれていません。

 劇中序盤の敵は、警備、すし職人、漫画家アシスタントなど、職業特化型ヒューマギアが意志の目覚め(劇中ではシンギュラリティの到達と説明)によりプログラムされていない反応を示し始めたところに、滅亡迅雷,netがそのヒューマギアを「アーク」に強制接続させることで「悪意」をラーニングさせ人間に反旗を翻させる、という生み出し方をされていましたが、私は見方によっては「漫画家の仕事を全部ヒューマギアにまかせっきりな漫画家に嫌気がさす」「監視しか求められていない役割に対して人間の欲求を拒絶して別のことをやりたがる」などシンギュラリティに到達した感情自体が悪意といえてしまうのではないかと感じてしまいました。

 また、28話に登場したMCチェケラという個体は、滅亡迅雷.netによる外部からの悪意のラーニング無しで人間に対する猛烈な憎悪を抱いてシンギュラリティを迎えて人間に襲い掛かりました。 こういった人間に対し悪意を覚えて危害を加えてくるヒューマギアは主人公飛電或人によって破壊して別機体と交換されます。

 或人はヒューマギアを友達だと思っているため、無理やり悪意をラーニングさせる滅亡迅雷.netやヒューマギアを粗雑に扱う人間には怒りをもって戦います。

 しかし、この構図が良くないと思うのです。なぜなら、或人はヒューマギアを人間の様に扱ってほしいと働き掛けていましたが、人間らしさを形成するには劇中の「悪意」もまた必要だと思えてしまうからです。

 最終話にかけて悪意を排斥しようとしてイズを失い、自分もアークに取り込まれるアルトですが、そもそも悪意を排斥して自我を構成させたヒューマギアはアルトの望む友達になれるでしょうか?逆に考えてみると、悪感情とされるような妬みや恨み、過度な怒りや欲望を失った人間がいるとすれば、それはまるでロボットのように思えます。つまり、“ヒューマギアに「人間らしさ」をもとめるアルト”VS “迅を壊されてしまったがゆえに芽生えた「悪意」を糧に戦う滅の構図” は最初から成り立っていないのです。

  ヒューマギアが便利な道具として普及した世界で、ヒューマギアに人間らしさを求めてしまう或人は異端になるのに、それを主人公に据えて彼の主張が「正義」になってしまうから話の都合が一方的になる、「悪意」を捉え切れていない視聴者に対し悪意=敵で結んで話を進めるから押しつけがましく見えてしまう、仮面ライダーゼロワンは答えの出ない問いかけを、ドラマの都合で答えを無理やり出させてしまった、時代に早すぎた作品だったのかもしれません。 長文失礼しました。

人間とは何か

彼の感想を読んで面白いなと思ったのは、下記。

しかし、この構図が良くないと思うのです。なぜなら、或人はヒューマギアを人間の様に扱ってほしいと働き掛けていましたが、人間らしさを形成するには劇中の「悪意」もまた必要だと思えてしまうからです…(中略)…最終話にかけて悪意を排斥しようとしてイズを失い、自分もアークに取り込まれるアルトですが、そもそも悪意を排斥して自我を構成させたヒューマギアはアルトの望む友達になれるでしょうか?逆に考えてみると、悪感情とされるような妬みや恨み、過度な怒りや欲望を失った人間がいるとすれば、それはまるでロボットのように思えます。

仮面ライダー好き早大生

AIを人間のように扱うとするのであれば、AIが悪意を持つことを引き受けるべきではないか。それを良からぬこととして排斥するのは、そもそも人間の否定ではないか。

その辺りを問わずして、「悪意」を持つことを排除しようとする設定はそもそも矛盾がないだろうか。

もちろんこれは子ども向けにも作られたお話ですから、ここまで考える必要はないと当然言えます。ですがそれにしても、AIをめぐるお話はどうしたって人間とは何か、という究極的な問いに結び付かざるを得ないのだろうと、彼の感想を読んで考えたのでした。

ちなみにこれは早大で持っている演習「医療人類学」のレビューシートに寄せられたものです。付言すると、この時の演習で扱ったのは仮面ライダーではなく人食いです。レビューシートの提出は任意で何を書いても良いことになっています。

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