人はいつか死ぬ

寮長さんが亡くなった。

私は博士課程に在籍していた5年間、早稲田大学の学生寮でRA(レジデント・アシスタント)をしていた。寮生の生活のサポートをする仕事である。

私がこの仕事についた理由は、ひとえにお金である。家賃・光熱費が給与の代わりという、一人暮らしではどうにもこうにも削れない、でも最大のコストがチャラになるという条件は、先の見えない私にとってとても魅力的だった。

寮長さんと寮母さんに初めて出会ったときは、二人はまだセカンドキャリアを求めて地方から出てきた新人さんで(といっても、年齢は私より20くらい上だけど)、細かいところから大きなところまで協力しながら寮の雰囲気を作っていった。

働き始めた理由はお金だったけど、私が寮を出る頃には寮長さんも寮母さんも家族みたいな存在になっていた。博士課程という不安定な時期をずっと静かに支えてもらった。

あれからすでに10年近くの月日が経ち二人もお仕事を引退。送り出した寮生は全部で700人近くになる。布団の中の寮長さんは、寮でいつも学生を見送っていた時のように穏やかな顔で眠っていた。

年を重ねるということは、周りで死んでゆく人が増えることで、いつか自分もそっちになることを実感することなんだと、この1、2年つとに思う。

病気とか、事故とか、自殺とか、死ぬ理由はいろいろあって、それが思いの外早かったりそうでなかったりはするわけだけど、死んだからってその人との関係が終わるわけでも、もうこれ以上関係を紡げないわけでもない。

私がいつ死ぬかはわからないけれど、自分が死んだ後も関係性を続けようとしてくれる人がいたのなら、それは私が少しばかりでも誠実に生きることができた証なんだろう。

寮長さんともそうやって新しい関係を築いていきたい。そう思っている。


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