それは男か人間か?ーマルセル・モース『贈与論』にみる翻訳

フランスの人類学者(*) マルセル・モースによる 『贈与論』は、言わずと知れた人類学史上の名作中の名作の1つである。(*モースを社会学者とする場合もあります)

その中に”男性の持つ生来の「支配的傾向」”(ちくま学芸文庫:p261)という一節が登場するのだが、これは邦訳の場合。

英訳を見ると、この箇所は”‘basic imperialism’ of human beings”(Translated by W.D.Halls)と訳されている。つまり、「男性」ではなく「人間」と訳されているのだ。

「だったら原文はどうなのよ」ということで、仏語は全然読めないのに仏語の原著を見てみる。するとそこには”hommes”とある。

「おいおい、これは”men”が人間になったり、男になったりするのと同じやつ?」と思い、辞書を引いてみるとどうやらそうらしい。

ということで、フランス語ネイティヴの友人に見てもらうことにする。すると「多分これは「男」ではなく、「人間」の意味だと思う」との返信あり。「ただこの言葉はトリッキーで、「男」の意味もあるから断言はできない」と留保もついている。

さらに混乱することに『贈与論』の邦訳は1つではない。有地・伊藤・山口訳(弘文堂、昭和48年)においてこの箇所は「男性」と訳され、他方、最も新しい森山訳(岩波文庫、2014年)では「人間」になっている。

さてさてモースはどっちの意味で使っているのだろう。

”男性”と”人間”ではずいぶん意味が違ってくる。

確かに本の趣旨や、この箇所の前後、及びモースが他の論文で書いたことを考えると、ここは「男性」ではなく、「人間」と訳した方が良さそうな気がする。

とはいえ、マルセル・モース(1872-1950)は、自分でフィールドワークは行わず、分析の資料をもっぱら誰かが書いた資料に求めた人類学者。加えてこの時期の異文化研究は、異文化を生きる男性の暮らしを調査することとほぼ同義であった。

それを踏まえると、モースがこの論文(1925年)を書くために頼った資料も男性のことばかりが書かれているそれということになる。その意味で、”hommes”を「男性」とした邦訳2つも読み間違いではないと思えてくるのだ。

モースはすでに亡き人なので確かめる術はないけれど、翻訳の面白さと難しさはこういうところに宿っているんだと思う。

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