「想像する方法」としての人類学者のフィールドワーク

月初旬から国内のある離島で新しいフィールドワークを開始し、第1回目が今日終了した。帰りの船中でこのブログを書いている。

もくじ

フィールドエントリーの難しさ

人類学のフィールドワークでまず一番難しいのは、フィールドに入る時じゃないかと思う。事前にどれだけ調べても、そこに何があるのか、どんな人と出会うのか行ってみるまでははっきりとは分からない。そこで見たもの聞いたものから、何がどうやって展開してゆくのかもさっぱり分からない。そもそもそこで何かが聞けるのか、何かを見せてもらえるのかも分からない。

私の場合、エントリーのきっかけを作ってくれたのは、私の窓口となってくれた、島に住むいく人かの人たちである。かれらが島の中で時間をかけてゆっくり作り上げた信頼の一部がなければ、フィールドに入ることすら難しかっただろう。そして次のエントリーきっかけは、「この人の紹介だから、島の外からやってきたこの人は大丈夫だろう」という島民の推測。そんな目に見えないものからしか、関係性が始まらない。

「調査」という極めて上から目線の、生活を覗き見するような言葉の響きに罪悪感を感じるものの、そこを否定し切ることはできず、でも自己紹介をするときに「調査」としかやっぱり言えない難しさを切実に感じたのは久しぶりだった。

あと大学を離れたことでわかりやすい所属・肩書きを出すことができず、どうやって自分を紹介したら良いだろう、という久しく経験していない戸惑いもあった。でも所属とか、肩書きで関係性の扉を開けないことこそ、フィールドワークなんじゃないかと、開き直る。

フィールドワークにつきものの罪悪感、戸惑い、不安を少しずつ和らげてくれるのは、そのような思いを抱かせる根源でもある人々との関係性。他者の信頼を借りて島に入った自分が、今度は自分自身で島の人たちと関わって共在の輪を少しずつ立ち上げ広げてゆく。

人類学的フィールドワークの魅力

島に入って3日目くらいで「そうそう、フィールドワークってこんなものだったよなあ」と24歳で初めて調査をしたときの気持ちが蘇る。あの時も「何か発見できるだろうか」、「何か書けるのだろうか」という不安な気持ちのままシンガポールを動き回っていた。今はそれなりに経験も蓄え、以前に比べれば入る前の準備もずっとしっかりしたけれど、始まりのときに抱く不安定な気持ちは変わらない。

ただ改めて思ったのは、会うべき人、聞くべきこと、見るべきことの全てがフィールドに入る前から決めうちされている調査より、よく分からないまま進むしかない人類学のやり方の方が、自分にはずっと向いていて、しっくりくるということだ。

しっくりくる気持ちとともにフィールドを見渡し、その時芽生える問いを手放さないこと。

でも、いくらしっくりくるといっても、始まりのときの不安定な気持ちは変わらない。その時は、それはどうしようもなくついてきてしまうものとして、その気持ちとは共にいる。

想像する方法としてのフィールドワーク

最近想像力とかイノベーションとかつとに言われるけど、何かを生み出すって外から未知のものを取り入れ、その上でその取り入れた何かを自分としっかり混ぜ合わせることでしか生まれないんじゃないか。「想像力」なるものが才能ある誰かの体に埋まっていて質問紙で発見されたり、特別な方法で発掘されるわけではない。

人類学のフィールドワークっていうのは想像することを実践するための一つのやり方なんだろうと改めて思う。

今回思い出に残った風景はたくさんあったけれど、一番シュールだったのは、森に埋まった古代遺跡みたいな場所に住む90代のおばあちゃんが盛んに勧めるお茶菓子の下に、ゴキブリホイホイ(未開封・箱入り、念のため)があったことだった。

コロナ禍とフィールドワーク(補足)

コロナ禍にもかかわらずフィールドワークを開始した理由は色々あって、それが可能となった理由も複数ある。予想はしていただけれど、どれだけ検査で陰性になっても「東京」というラベルが自分から離れないことの難しさは感じた。これはまた別の機会に。

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