「正しい知識」とは何か?-「正しさ」と「正確」の混同

「正しい知識」が溢れるコロナ禍

新型コロナのパンデミックが起こってからの2年間、「正しい知識」というフレーズが、医療専門家やジャーナリストから一般市民に向け、何度も何度も掲げられた。「正しく恐れる」、「正しい感染対策」も、もちろんその応用である。

私は医療人類学者として、摂食障害、循環器疾患、漢方医療、糖質制限食といったことを研究してきた。これらテーマを貫通する一つの問いが「「正しい知識」、とは何か」である。

これについては新刊『他者と関わる-リスク、病い、死をめぐる人類学』(集英社新書)でも当然取り組み、ここにはかなりのページを割いた。しかし今日はそこで触れなかったことを書いてみたい。

私が提示したいのは、「正しい」には、「正しさ」(right)と「正確」(accurate)の両方の意味があるにもかかわらず、これが一緒くたになって使われた結果、様々な問題が起こっているのではないか、という問いだ。

「正しさ」と「正確」は違う

「正しい」には二つの意味がある。まず一つは道徳的な「正しさ」、あるいはなんらかの目的を達成するための「正しさ」。英語でいう、rightである。

しかしこれにはもう1つ意味があって、それが「正確」。つまり、accurateのほうだ。

(exactなど他の単語もあるか、ここではこの二つに絞る)

「正しい知識」の提供が溢れかえったコロナ禍において、私が常に疑問だったのは、「正確」な知識を持っている専門家は、「正しい」(right)のだろうか、ということだ。

疫学的な論文を書く人、エビデンスが読める人、ウイルスについて詳しい人は、確かに一般市民より「正確な」知識を持っている。しかしだからと言って、かれらが言うこと、やることが常に「正しい」わけではない。これは逆も同様で、一般市民は「正確な」知識は持っていないかもしれないが、「正しい」ことをしているかもしれない。

「正しい知識」に「正しさ」と「正確」の意味がともに入れ込まれ、「正確なこと」を知らない人は、「正しいこと」もできないようは雰囲気が出来上がってしまった。そんなことはないだろうか?

カラオケでマスクをつけずに歌うと感染リスクが上がる、という実験結果

私は「朝日新聞デジタル コメントプラス」のコメンテーターをやっているため、頻回にこちらを読んでいる。本日の夕方は、こんな記事が上がっていた。

マスクしても、50cm以内の会話は高リスク オミクロン株で試算

理化学研究所のスーパーコンピューター「富岳」を使ったシミュレーションで、感染者がマスクをしていても、50センチ以内の至近距離で会話をすると、感染リスクが上がることが判明したというのである。

50cm以内がどのくらいか今ひとつピンと来なかったので、物差しで測ってみた。すると相当に近いことがわかった。50cmで肩と肩が触れ合う程度、それ以内になると、身体はまず接触する。

カフェなどの公共の場で、知らない人にこれだけの至近距離まで近づかれたら、コロナ禍でなくとも私は怖い。

これを読んで「こんなこと、そんなすごいコンピューターを使わなくともみんな知っている」と私は思った。

散歩でもほぼ全ての人がマスクをしてるような社会状況で、50cm以内に近づいて会話をしたい人(マスク付き)などいるのだろうか。

この記事にはさらに、こんなシュミレーションも紹介する。9人がカラオケボックスで一つの部屋に集って、コの字形に座り、うち1人が感染者だった場合だ。

この状況で、全員がマスクをつけず1時間歌い続けると、新たに3・3人の感染者が出るのだという。

至近距離が50cmとか、3.3人の新規感染者が出るといった「正確」な数字は、当然市民は知らないだろう。しかしその「正確な知識」を持たずとも、至近距離で話さないことや、大勢でマスクをせずにカラオケをしないといった、「正しい」対策は多くの人が既にやっている。

そう考えた時、この記事は「正確」なことを報道しているかもしれないが、報道する意味という点において「正しい」かどうかは、わからないと思ったのである。

「正確」が「「正確さ」のない「正しさ」」を奪う、そんなことだってあるのではないか。

「正確」が「正しさ」を批判する

先の記事は、単なる情報提供とも言えるだろう。他方、「正しさ」と「正確」に関する話題で私が心を痛めたのは、医師の長尾和弘さんへのバッシングである。彼はイベルメクチンについての発言などで「正しくない」と激しく批判されていた。

彼の発言に「正確」でない部分はあったのかもしれない。しかし多くの患者が医師を見つけられなくなった状況下で、彼はコロナだろうとなんだろうと患者を見続けた。それはどうみても「正しかった」のではないか。

それを「正確でない」という理由からどこまで叩いていいのか私はわからない。

そんなことを思い出したのは、私の学生が、先日3件のクリニックで受診を断られたからである。1日に3件である。

その学生は、胃腸の調子が数日前から悪く、発熱もあった。しかし念のため行った抗原検査は陰性。その後熱は下がった。ところが胃腸の調子の悪さは続いたため、受診を希望した。しかし数日前の発熱を伝えたら受診を断られたのだという。

結局その学生は、発熱があったことは伏せ受診をした。診断は逆流性食道炎とのことで、次に会った時、調子はすっかり良さそうになっていた。

医療の「正しさ」はいったいどこにあるのだろう。

「正しい(right)」は難しい

「正確な情報」を知っている人はいても、「正しい(right)」発言・行動をできる人はとても少ない。加えて「正しい(right)」は文脈に応じて可変し、あちらで「正しかった」ことが、向こうでは「正しくない」こともままある。「正しい(right)」は探すのが難しい。それをやるのはもっと難しい。

「正確」な人が「正しい」わけではないし、「正しい」行動をしている人が「正確」なわけでもない。「正しい知識」が連呼され、それによる分断が起こるコロナ禍において、この二つの腑分けを単に言葉尻の問題で済ませてはならないと私は考える。

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