続く命

福岡に行ったら、必ず行くと決めている店がある。

そこは宮野さんが大切にしていた場所にある居酒屋で、「急に具合が悪くなる」の刊行を追うように、2019年の秋にオープンをした。

私がその存在を知ったのは、たまたま。

2019年の秋、この辺りを夕方に散歩している時、ふと目に入った。

元来、私は1人で飲みに行くタイプではない。でも、宮野さんがそういう飲み方を大切にしていたことに背を押され、ちょっとだけ勇気を出してみた。

店員は、大将とお手伝いの男性2人。こじんまりと回しているお店で、客はまばら。大将が丁寧にお刺身を作ってくれ、帰りは、お手伝いをしている彼が店の外まで送ってくれた。

あれからおよそ3年経った、今年6月。

コロナ禍で潰れてしまっているんじゃないかと心配しながら、電話をかけた。幸い無事に電話はつながり、でも「今日はいっぱいです」と電話口で断られた。

でも、直接行けば、1人なら入れてくれるんじゃないか、という淡い期待を抱き、店に向かう。

やっぱり入れて、カウンターに案内された。

店は、3年前とは見違えるように繁盛していた。

常連客のボトルがいくつも入り、店員は一人増えて3人。あの時とは打って変わり、楽しそうな声に店は包まれていた。

あの時から、店は、こんなに成長したんだ。

繁華街にある店ではないため、出張で、しかも1人で来た私は珍しかったらしく、大将に「どうしてこの店を知ったんですか?」と尋ねられた。

「亡くなった友人が大切にしていた場所で」、とは流石に言いにくかったので、「この辺りに友人が住んでいて、遊びに来た時たまたまこのお店を見つけたんです。とても素敵な店だったから、福岡に来るときは必ず行こうと決めていて」、と説明をした。

私だけがひとり客だったこともあり、大将はじめ店員の皆さんが気を遣って話しかけてくれていた。でも次第にカウンターに座っている客たちと話が弾み始める。

「こんなところにどうして一人できてるの?」、と常連さん二人。

当時の写真とともに説明をすると、「ちょっとご馳走しなさいよ」と二人は大将をけしかける。

「いやー、こんなものしかなくて」、と業務用の麦チョコを皆にふるまう大将。

びっくりしたのは、てっきりバイトだと思っていた若い彼がまだ働いていたこと。彼は、バイトではなく正式な従業員として、料理人になるべく、あれから3年間ここでずっと働いていたのだ。

たまたま私は、彼が写っている3年前の写真を持っていた。だから、その写真と一緒に、その時注文した鯛の鱗焼きの写真も見せると、みんなすごく喜んでくれた。

しばらくすると、頼んでいないはずの鱗焼きと、日本酒が大将から差し出される。

それは、カウンターの一番はじに座っていた常連客からの差し入れだった。私がこの店を大切に思っていることを、とても嬉しく彼は思ってくれたらしい。

心からお礼を言い、箸を伸ばすと、あの時と全く同じ味がした。

そして帰りの時間。

私のすぐ右隣に座っていた女性が、「博多に泊まっているなら電車じゃなくてバスがいいですよ!」と、時刻表をさささと調べ、バス停はどこで、何番のバスに乗ればいいかも教えてくれた。

彼女はここには一人で来ると話す。「ここは誰かと来る場所じゃなく、一人で来る場所だから」と。

「そうですよね。そう思います」、と私は答える

お気に入りのバーや居酒屋は、背負っている役割や荷物を全部下ろせる場所だと、宮野さんが言っていた。宮野さんは、きっとこういうのがたまらなく好きで、大切にしていたんだね。

この店の大将も、常連客も、料理人の見習いの彼も、宮野さんのことはもちろん知らない。

でも私はそこにつながりを見るし、それでいいんだと思う。

終わる命もあれば、それを引き継ぎ、広がる命たちがある。生きているということは、きっとそういうことなんだろう。

さあ、明日からまた、頑張ろう。

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