「急に具合が悪くなる」を読んでくださった皆さまへ(1)-(9)

2020年4月20日から定期的に行っていた「急に具合が悪くなる」の連続ツイート11個をまとめました。これを初めたのは丁度、緊急事態宣言の最中。世の中が異様な雰囲気に包まれる中、こちらのツイートを始めたことを覚えています。

プロローグ

『急に具合が悪くなる』を読んでくださった皆さんへ

去年の今日、去年の6月1日に宮野さんと東京で会う約束をしました。でもその間に、彼女がとても具合が悪くなる可能性はありました。

実際そうなりました。

でも、その危険を避けるためにあの時を使っていたら、何も生まれませんでした。

最悪の事態を想定することは大切です。でもそれを避けるために、他の可能性を切り捨て、いまの全てを使う必要はない。

2020年4月17日

プロローグ2

本のあるところajiro @福岡天神

「急に具合が悪くなる」を読んでくださった皆さまへ

去年の今日、宮野と磯野は福岡天神にある「本のあるところajiro」(@ajirobooks )でトークイベントを開催しました。会場の皆さまの熱気が、その1週間後に始まる書簡を作ってくれました。

2020年4月20日

『急に具合が悪くなる』を読んでくださった皆さまへ

去年の今日、宮野ー磯野の往復書簡が始まりました。

“今回の磯野さんとの仕事で自分のことをはじめて哲学者と名乗れる気がする。楽しみ”

宮野さんは書簡の始まる直前にこう語っていました。

名の知れた学者の言葉を借り、自分を大きく見せるのではなく、かれらの力を知り尽くした上で、自分だけの等身大の言葉を語る。哲学者として語ることを決めた、彼女の先に見えていた世界が、この書簡の中に溢れています。

そして彼女は、その先の未来を読者に委ねて旅立ちました。本日よりこの書簡を、実際の流れにそって、いまいちど振り返ってみようと思います。

2020年4月27日

『急に具合が悪くなる』をお読みになった皆さんへ (2)

どこかの疫学者が作った数式に則る「かもしれない」という数字が、ある個人の日々のありようを一変させる、未来の可能性を封じてしまう

『急に具合が悪くなる』 第一便 p21

私はこれまで、統計に基づく病気についての未来予測が、私たちの生活にどのような影響を与えるかに注目をし、研究を続けてきました。

痛い、苦しいといった身体感覚は、現代医学にもはや必須ではありません。何も感じていなくてもデータがあれば、医学は私たちの生活に介入することができるからです。

「急に具合が悪くなるかもしれない」と言われた宮野さんもまさに同じ状態でした。医師はデータに基づく予測を患者に伝えなければなりません。他方その「かもしれない」を織り込んで日々を生きることはそんなに簡単なことではありません。第一便の豊子さんは、病気の再発を懸命に避けようと、日々の楽しみを次々とあきらめました。でもそれでも病気は再発してしまいました。

適切に怖がる、とはよく言われますが、生活は複雑なあれこれの総合体で、そこには時間も流れます。そこにリスクを適度に織り込むなんてそう簡単にはできません。

特に宮野さんの場合、告げられた「かもしれない」の先にあるのは、回復の見込めない“死”でした。死ぬことに比べたら、その数ヶ月先に予定されたイベントなんて羽のように軽い。中止すればいい、というのは簡単です。

でも、だとするのなら、死を先に見せられた人々は何ならしてもよいのでしょう?ただひたすらに急に具合が悪くなる未来を先延ばしすることが、よりよい人生なのでしょうか?それは幸せな生き方なのでしょうか?統計が示す恐ろしい未来を回避しようた結果、恐怖に縛られ動けなくなる何人もの人々に、私はこれまで出会ってきました。

その度に私は、”生きる”とはいかなることかを考えます。その答えは今も出ていませんが、専門家の示す未来予測に自分のいまと未来をただ明け渡すことは、”生きる”ことの本質を何か外している。

少なくとも私はそう考えています。

私が宮野さんに投げた問いにはこんな背景がありました。

死を突きつけられた人に、死の可能性についての問いを投げることはとても勇気が入ります。でも「何の遠慮もいらない。自分の病気ですら分析することが哲学者の業だから」と話す宮野さんの志に、全幅の信頼と敬意を払い第一便を書きました。

でも振り返ると、宮野さんの決意がどれほどまでに強固なものであったのか、この時の私はまだよくわかっていませんでした。同じように、誰かを信頼することの意味、そしてそれにどんな勇気が必要であるのかも、この時の私にはよくわかっていなかったのです。

2020年4月28日

『急に具合が悪くなる』を読んでくださった皆さまへ(3)

“分岐ルートのいずれかを選ぶとは、一本の道を選ぶことではなく、新しい無数に開かれた可能性の全体に入ってゆくことなのです”
(第1便、p30)

「急に具合が悪くなる』1便 P30

私たちは何か選択をするときにリスクとベネフィットを考え、リスクを最大限に避ける選択をします。予想された未来を手に入れようとします。

でも宮野さんは未来とはそんなわかりやすい一本道ではないと語ります。そうではなく、何かを選ぶことで、私たちの目の前にはまた複数の行き先が現れるのだと。

未来の死から今を考える必要はないと宮野さんが語るとき、それは予測された最終地点ばかりを見ることによって、その間にあるたくさんの可能性を見落としてしまうことへの警告でした。このツイートを読んでいる人で、「具合が悪くなったら3週間で死んでしまうかもしれない」といった予測をされた人は少ないと思います。

でも、こんな状況になったら、あるいはこんな選択をしたら、あなたの未来はこんなひどいことになるーそんな予測をされた経験がある人は多いのではないでしょうか。でもそんな予測に今を奪い取られる必要はないのです。あなたが陥った状況、あるいはあなたがなした選択によって未来が確定することはありません。

あなたは単にそれによって、(よくないことも含めた)新たな可能性の総体を手にしただけなのです。

2020年4月29日

『急に具合が悪くなる』を読んでくださった皆さまへ(4)

第2便のやり取りは1便が終わってから4日後の5月3日に始まりました。

手紙に書くべきことをLINEでうっかり話してしまわないよう「そこは手紙で」、「言いたいことがあるけどここは我慢」といった掛け合いが始まったのがこの頃です。

かれらのいう客観的なデータは1人で歩いて患者の元にやってくるわけではありません。

『急に具合が悪くなる』 p39

ここで私は「エビデンスに基づく正しい情報」という概念を批判的に検討しています。科学的な判断といえば聞こえはいいですが、医学におけるエビデンスはあくまでも確率です。すると、その確率をどう「語るか」がとても重要になってきます。

患者にエビデンスが語られる時、その「語り」には、医療者が理想と考える未来・日々の振る舞いが必然的に埋め込まれます。

それではそうやって語られた情報は「正しい」と言えるのか。正しい情報に基づいて行動することが重要と言われる時、そこには情報提示側が描く理想的な未来や人間としての振る舞い方もセットになっている。「正しい情報に基づく、患者さんの意思を尊重した支援」という、医療者がしばしば使う常套句への批判を私はここで提示しました。

それを受けて宮野さんは、ホスピスを探すために提示された「適切な支援」に対する自身の戸惑いを率直に提示することになります。このやりとりが終わった数日後、宮野さんは大教室の講義で息切れが起こると教えてくれ、そこから彼女の体調はまさに崖から転げ落ちるように悪化していくのです。

『急に具合が悪くなる』を読んでくださった皆様へ(5)

去年の今日、宮野ー磯野の書簡はすでに2万字を超えていました。始まってからたった一週間しか経っていなかったにもかかわらず「すごく楽しいね」と言いながら書き進めていたことを、いまでもはっきりと思い出すことができます。

そしてその一年後、書簡の一人がいなくなってしまうことを、私は想像がついていたのだろうか。それは覚悟していたような、でもそうならないこともあるかもしれない。そう考えていたような気もします。

でもあれほどまでに、“いま”を大切にできたことはこれまでの人生でありませんでした。

宮野さんがいなくなってから体のどこかが切り落とされたような日々が続いていました。でも、いまは少し違います。死というのは、いなくなることではなく、それまでと関係性が変わることなのではないか。

それがわたしのいまの実感です。ずいぶんと静かなところでないと難しいですが、亡くなった直後より、いまの方が、彼女の声をはっきりと聞くことができると、感じます。

2020年5月5日

「急に具合が悪くなる」を読んでくださった皆様へ(6)

代替医療をめぐる問題は、エビデンス 第1主義でなく、希望と信頼の位相で話すべきであると私は考えています

『急に具合が悪くなる』p60

いかがわしい治療を選択する人がいます。それに対し、エビデンスを勉強しろという人がいます。その時あまり振り返られることがないのは、その人がどんな人生を辿り、何に挫かれ、その治療を選択するに至ったかです。

人が自分の未来を何か・誰かに託す瞬間には、その人のそれまでの人生の軌跡が凝縮されています。そんな”未来を志向するまとまり”を私たちは、信頼や希望と呼ぶのではないでしょうか。

人々が治療においてなす、選択の過程と決断の瞬間を解きほぐすに有用な視座を与えてくれるのが、3便で紹介したアーサー・クラインマンです。

『急に具合が悪くなる』を読んでくださった皆様へ(7)

病気というのは、私ひとりの身体にふりかかるものでありながら、私一人にとどまってくれません

『急に具合が悪くなる』p66

生理学的•疫学的な観点からのある病気への対策が、しばしば当事者の暮らしとバッティングするのは病気の持つこのような性質のおかげです。

身体の中で生じながらも人間関係の間でも生じる。それが病気です。

宮野磯野の書簡はGWが明けてから少しスローダウンすることになりました。

2020年5月8日

急に具合が悪くなるを読んでくださった皆さまへ(9)

皆様のお手元は何刷があるでしょうか?写真は初版なのですが、ここにはある間違いがあり、3刷から修正がなされています。どこが違っているかわかる方は、この本をじっくり読んでくださった方だと思います。

私にとってこの間違いは、本の完成のために全力で走ってくださった方々との思い出として、とても愛おしいものになっています。

どこかわかった方はぜひ教えてくださいね。

2020年5月22日

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