センター街に朝は来ない。でも夜は終わる

思うところあって午前6時にセンター街に行く。

太陽に照らされるゴミだらけの路上には、閉店まで飲み明かしただろうたくさんの若者たち。仲間に囲まれながら排水溝に吐いている男の子。どうみてもナンパしている彼(こんな時間に成功するのか?いや今だからか?)。やったら短いスカートの女の子にぴったりくっつく彼氏らしい男性。朝から大繁盛のラーメン屋。

今の正義である感染予防の観点からは絶対にダメな行動なんだろう。でもこういう姿を見るとむしろ私は「よかった、乱れることのできる場所がまだあって」と安心してしまう。

今の社会では決して乱れることなく、いつも同じテンションで冷静でいることのできる大人が称賛される。でも私は、人類学者が集めた資料の中にある、時に麻薬的な効果のある飲み物を摂取しながら、全く違う時空間に集団で入ってゆく人間の話を読むのが好きだ。

乱れてはならない空間はそんなに楽しいことばかりではない。そこには我慢や、理不尽もたくさんある。だからこそ人々は自分の身体を変容させる物質を体に取り入れながら、日常の秩序を反転させる世界に集団で入り込み、自分たちを縛っている秩序からほんのひと時解放される。

人が乱れるというのは秩序が壊れることだから、当然そこでは起こらない方がいいこと、悲しいことも起こる。だからこそ社会は、乱れることを許容しつつ、それが起こりすぎないように調整をかける。

でもそれでもなお、ひどいことも起こってしまう。でもそのことがその空間の立ち上がりを抹消する理由にはならないはずだ。(と、毎年問題になる渋谷のハロウィンの問題を見ていて思う)

宇田川町からセンター街を抜け、スクランブル交差点にたどり着く。

通勤の車が行き交いはじめ、蛍光色のゼッケンベストを着た人たちがハチ公周辺で路上喫煙を取り締まっているのが見える。すぐ横ではセンター街から降りてきた女の子2人がタクシーをつかまえ、逆どなりでは男の子が顎にマスクをつけて電子タバコを吸いながら駅に向かい交差点をわたる。

センター街には朝は来ない。でも夜は終わる。終わる夜に押し出される若者たちは、スクランブル交差点で朝に出会う。

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