「やりたいことがなくなる話」と「もういちど始まる話」

 ずっと遠いところから、私の仕事を見てくれているある精神科医がいる。私よりも(たぶん)ひとまわり以上年上で、医療人類学にも造詣が深い。知り合ったのはある学会だ。

 とはいえ、実際にお目にかかったことは5回くらいで、しっかり話したこともない。「なぜふつうに食べられないのか」を差し上げて以降、献本をしたこともない。が、彼はなんとなく私が何をしているのかは知っている模様。

 去年の秋、そんな彼から突然メールがあった。私の連絡なしにから彼からメールが来ることはなかったのでびっくりしたことを覚えている。

 そこにはこんな言葉があった。「急に具合が悪くなる」を読んで熱発したこと。自分には苦手なテーマであるからかもしれないが、よくここまで踏み込んで書いたと思うこと。そして最後にこうあった。

「魂」が付く仕事は,無傷ではいられないヘビーな作業なので,予想外の形で疲れもでると思います。どうかくれぐれもご自愛くださいますよう。

「急に具合が悪くなる」と同時並行で書いていた「ダイエット幻想−やせること、愛されること」が出て以降、私は確かにへとへとだった。本が出たからと言って日常が終わるわけではない。

 日々の講義やそれ以外の校務、本を知ってもらうためのイベント、言葉が届いたという確かな手応えに背中を押される日々、時折やってくる優しい顔をした心ない一言に刺される瞬間、退職にあたって生じる様々な書類と大学とのやり取り、2020年4月以降どうやって生きていくべきか、という大きな問い。

 考えること、やること、感じることが多すぎて、どうやって日々を生きていたのか思い出すのが難しい。心身のアップダウンも激しく、元気になっては寝込むみたいな時期もあった。

 でもそのような喧騒が去り、穏やかな時間が増えてきた今、彼が言っていた「『魂』がつく仕事がもたらす予想外の疲れ」とはこれなんじゃないか、と思うことがある。

やりたいことがなくなってしまった。

 これは私にとっては驚きの事態である。私はいつもやりたいことがはっきりしている人間だった。なのにそれがなくなってしまった。

 彼の言葉を借りるなら、私の魂は枯渇してしまったんじゃないか。自分の言葉を使えば、私は去年一回死んでしまった。そんな感じがぴったり来る。

 とはいえ、これは面白そう、これはしてみたい、やっておいた方がいいと感じる”萌芽”はいくつか持っている。それがずっとやって行きたいことなのか、やっていけることか、そうでないのか、はたまたそれが全然違う方に行ってしまうのかはわからない。

 でもいずれにせよ、全てをリセットした状態から、それら萌芽を手掛かりに少しずつ立て直して行こうと思っている。言い換えればそれは、もう一度生き直すことなのかもしれない。

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