12月28日は愛媛県西条市にある学習塾・伸進館にお招きいただき「なぜ勉強するんだろう」というタイトルで人類学の講義をさせてもらった。
なぜ勉強するんだろう
塾長の重松さんにお招きいただいたきっかけは下記の朝日新聞のインタビュー記事。
(私たちはなぜ学ぶのか)学びの寄り道、無駄じゃない 磯野真穂さん
この記事で私はこんなお話をさせてもらった。
人はなぜ学ぶのか、ですか? ひとつは、学士号や修士号といった学歴や、〇〇士といった資格が生きていく上で有利に働くからでしょう。現状では、多くの人にとっての目的はこれかもしれません。ただ、私が思うもっと大切な理由は、「そのほうが、面白いから」です。(2022/10/12)
昨日の講義でも「面白い」を起点に人類学のお話をさせてもらった。
塾生さんも、さらには一緒に来ていた親御さんもとても積極的に参加してくれ、最後はシンギュラリティの質問まで高校生から飛び出し、あっという間に2時間が過ぎた。
中2までの解答は飛び跳ねる
講座では、「勉強じゃないものをあげてください」「上げられたものをタイプ分けし、それぞれに名前をつけてください」というワークをおこなった。
面白かったのが中2以下のグループが集まっている机。そこには
心理戦:ゲーム、恋愛
とあった。
これは面白い。言われてみれば確かにそうだ。
しかしこういう回答は中3以降になると消えてしまう。確かに出されている回答は「深い」「鋭い」と思わせるもの。しかし上にあるような「飛び跳ねた感」が消えてしまうのだ。以前違う学習塾で講座をさせてもらった時も同じことを感じた。
これは学習塾の方針云々とは全く関係がないと考えている。むしろ「受験」という制度の影響だろう。
出題者の意図を読み込み、出題者が喜ぶような答えを出す癖をおそらく受験は植え付けてしまう。それは言ってみれば、想像力の幅を刈り取り、想像力に「他人の目線」を入れ込んでしまうことだ。
大人になるということはそういうことなのかもしれないが、想像力とか、イノベーションとか言いながら、受験がやらせているのはその逆のことというのは何とも切ない。
教えるのをやめたら生徒の成績が伸びた
さて、お招きいただいた伸進館。とても面白い方針をとっていて、端的にいうと「できるだけ教えないようにしている」というのだ。
「塾で教えないってどういうこと?」ってなると思うけど、ある時まで普通に授業をしていたそう。でも「教えなくなったら」生徒の成績が伸びたのだという。重松さんは、「一生懸命教えたことでかえって生徒の力を抑えてしまっていたことがわかった」とおっしゃっていた。
じゃあ、ここで何をやっているかというと、塾生は自分で好きな時にここにきて、自分で計画を立て、勉強をして、わからなくなったら先生に聞きに行く。それだけ。
ただ勉強するための環境づくりが、とても細やかに行き届いていた。自習室が三つあり、そこには座り心地の良い椅子と、整えられた机。土日も、長期休暇中も使っていい。周りには、静かに勉強をしている同世代の仲間たち。「これだったら家じゃなく、ここに来てちゃうよね」という快適な環境だ。
加えて、参考書、書籍など、学びに必要な本は十二分に購入されており、いつでも手に取れる。どうしても困ったこと、わからないことがあったら、どんな教科でも先生が教えてくれる。
つまり「教えない」と言ってもほったらかしにしているわけではない。セーフティネットはしっかり用意されているのだ。
これは伸びるかもしれない。いや、伸びるだろう。
今やっているメアリ・ダグラス講座「人類学の古典に親しむ」。
読み進めている『汚穢と禁忌』の難しさにみなさん四苦八苦しているけれど、こちらも「ダグラス自習室」とか設ければいいのだろうか、と思うくらいの1日だった。