死と怒り−『急に具合が悪くなる』を読んでくださった皆様へ(21)

宮野さんが亡くなった日から2日後の7月24日。

ネットで宮野さんの訃報が流れるとそれはあっという間に拡散され、私のTwitterのタイムラインは宮野さんの死を悼むツイートで埋まりました。

それを眺めながら私は、怒りに震えていました。私の人生で、ここまで「怒りに震える」という言葉がぴったりな日々はなかったかもしれません。

一番頭に来たのは「ご冥福をお祈りします」という言葉でした。多くの人が最後につける「ご冥福をお祈りします」を見るたびに、彼女の死がそういう定型文でまとめられることに怒り、彼女の死が140字で語られ、それが1秒もかからない「いいね!」やリツイートでオンラインの海を巡回する事実に叫び出しそうでした。

「宮野さんの最後の言葉を見る前に「ご冥福」とかいい加減にしてくれ」、「どうせ数日後には違うことを呟いているんだろう」、私は本当に怒っていました。実際、数日後、私のタイムラインは宮野さんの死ではなく、愛知トリエンナーレの話題で埋まり、それに対して私はまた怒っていました。

でも、同時にそうやって怒る自分に私はひどく戸惑いました。自分の怒りがあまりにナンセンスであることもわかっていたからです。

そもそも「急に具合が悪くなる」の存在を知っている人はごくごく限られていましたし、「ご冥福をお祈りします」は、死を前に言葉をなくす人々を助けるためにむしろ存在しますから、ここでこそ使うべき言葉です。そして何よりも、私に宮野さんの死を占有する権利はありません。

ただどうにもこうにも、140字の短い言葉や、いいねや、リツイートを見るたびに、彼女の死がお菓子を食べるみたいに消費されているように思えてならなかった。彼女のことを呟く人は決してそんなつもりではいない。そういうことも十分わかっていました。でもそれでもなおタイムラインに彼女の死が流れるのはみていられませんでした。

とはいえSNSは見なければいいので、それはそれほど大きな問題ではありません。

問題はその後です。死を語ることについての批判を、つまり私が心の中で叫んでいた批判を、最も引き受けることになるのは残された著者である私になることは明白です。

実際、何も語らないという選択も頭に浮かびましたが、やはりそれも奇妙なことだと思いました。黙っていても本が広がるほどの知名度は宮野さんにも私にもありません。言葉を広く届けたいなら私が語るしかない。

考えた末、Twitterよりも長い文章で本のことを紹介することにしました。文章を長くすれば死の消費にはならないと考えたわけではないし、むしろその逆かもしれないのですが、このやり方だったら宮野さんのことを語れる気がしたのです。それが彼女が亡くなってから1ヶ月と1週間後に始めたnoteでした。(2019年12月終わりまで計10本)

Twitterで振り返りを始めたわけ

宮野さんが亡くなった直後の私は、Twitterを見て怒りに震えただけではありませんでした。イベント紹介文の宮野さんのプロフィールに「2019年7月に逝去」とあれば、その文言は消して欲しいといい、一緒に登壇するはずだったイベントのフライヤーから宮野さんの名前が消されていれば、「消さないでほしい」と言いました。

今振り返ると、あの激しい怒りは、ご冥福とか、逝去とか、彼女の死を示す言葉に耐えられなかったことが1つの原因だったことがよくわかります。

今なら「宮野さんが亡くなった」。こうやって言えるから。

この書簡が始まってからちょうど1年後の今年の4月27日に「急に具合が悪くなるを読んでくださった皆さんへ」と題して私が振り返りのツイートを始めたのは、宮野さんとの関係性が変わったと感じる今の状態で、もう一度書簡を振り返ってみたい。そう感じたからです。

でもやっぱり「ご冥福」と言う気になれません。初七日、49日、1周忌、3回忌。そうやって段階的に生者は死者を送り出す。文化人類学では一般的によくそう言われますが、彼女が冥界なる場所に行ってしまったとはとても思えませんし、生物的に動きを止めたことで全てが終わったとも思えません。

生きている者は死を境に、今一度その人と関係性を作り直し、その関係性も含み込みながら、新たな出会いへと、新しい始まりの中へと踏み出していく。

私はそう感じますし、実際にそうやって今生きています。

これまで21回にわたりお付き合いくださった皆さま、振り返りは次回で最終回と致します。ありがとうございました。

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